2023年8月3日木曜日

紅蓮の禁呪20話「嘘つき」

 「これ飲んだら、さっさと帰ってよねっ!」

 コーヒーカップを乱暴に置くと、紅子はそれだけ言い捨てて教室を出ていった。

 少女の後ろ姿を見送った後、竜介は熱いコーヒーをすすりながら苦笑した。

 歓迎はされないだろうと思っていたけど、まさかこれほど嫌われるとはねぇ……。

 彼とて、別にひまを持てあましてこんな所まで出張でばってきたわけではない。それなりに理由があった。

 まず一つには、この日の校内が事実上、部外者の出入り自由となっていたこと。

 どさくさに紛れて、『連中』が紅子にちょっかいをかけてこないとも限らない。

 それでも、晴天ならばいつも通り鳥たちに監視を任せておいただろう。

 彼は、窓の外に目をやった。

 空は厚く暗雲がたれ込め、正午を過ぎたばかりだというのに、早くも夕暮れのようだ。

 この天候が、彼がじきじきに出張って来たもう一つの理由だった。

 『連中』は光を嫌うから、日の射す日中はまず安全といえる。だが、今日のようなひどい曇天では――

 何も起きなければいいが……。

 コーヒーを飲む彼の眉間みけんが、いつしか険しいしわを刻んでいた。

「あのぉ……」

 紅子のクラスメイトだろう、エプロンを着けた女子生徒数人が、恐る恐る、という様子で、声をかけてきたのは、その時だった。

「紅子のこと、怒らないで下さいね?」

「は?」

 いきなり覚えのないことを言われて、竜介は間の抜けた返事をした。

 が、少女たちは気にせず続ける。

「あの子、照れてるんだと思うんです。だから、あんな風に邪険じゃけんにして」

「いとこだなんてウソついたり」

「あたし達にからかわれると思ったんでない?」

「今までずっと、『男ぉ?キョーミない』って子だったもんねぇ」

「にしても、けっこう面食いだったのね」

とまあ、堰せきを切ったようにてんでばらばらにしゃべる彼女たちには、何を言ってもムダだっただろうけれど。

 どうやら彼女たちは竜介と紅子の関係を誤解していて、彼が難しい顔をしていたのを、紅子の横柄おうへいな態度に腹を立てていると思い込んだようだ。

 このまま放っておくのも一興だが、それでは後々、紅子に恨まれることになりかねない。

「残念ながら」

少女たちの際限ないお喋りをどうにかさえぎると、彼は言った。

「紅子ちゃんが言ったとおり、俺は単なるいとこだよ」

 一瞬の沈黙の後、彼女たちはいっせいに叫んだ。

「うっそぉぉぉ!!」

「誰よ、カレだなんて言ったの」

「だって、紹介してよって言ったら、ものすごくいやがるんだもん、てっきり……」

 再開された少女たちのおしゃべりを、竜介はしばらく苦笑しながら聞き流していたが、やがて、紅子がなかなか教室にもどってこないことに気づいた。

「紅子ちゃん、まだもどってこないけど、どこに行ったかわかるかい?」

「紅子なら、体育館だと思います」

 一人が答えた。

「あと二時間くらいはもどってこないんじゃないかな。現音のライブがあるから」

「ライブ?」

竜介は聞き返した。

「それを聴きに?」

「違いますよォ」

別の少女が、笑いながら口を挟んだ。

「彼女、出演するんです。ヴォーカルで」

「すんごいいやがってたけどね」

「え~、何で?うまいと思ったけどな」

「小さい頃、おばあちゃんに言われたんだって。『紅子は音痴だから、人前で歌わないようにしなさい』って……」

 確かに、それが賢明だ。

 竜介は声に出さずにつぶやいた。

 「力」の発動を望まないなら。

 彼はコーヒーを飲み干すと、少女たちに体育館の場所を訊き、その場を後にした。


 その頃。

 ステージの上で、紅子たち現音部員は最後のリハーサルに余念がなかった。

 開演までまだ三十分以上あるというのに、長椅子で作られた座席のうち、ステージに近い部分は既に満席で、いやでも緊張が高まる。

 だが、紅子は教室で春香の姿を見かけてからというもの、ずっと何者かの視線を感じて落ち着かなかった。

 それは客席からのものとは全く異質で、鋭く、殺気さえはらんでいるように思われた。

 何だろう。何かが……。

 リハーサルそっちのけで相手の気配を探り続けていた彼女が、ふと首こうべをめぐらせた、そのとき。

 舞台のそでに立ち、こちらを見ている人影が、ちらりと見えた。

 ステージライトがほとんど届かない、薄暗い場所。

 それにもかかわらず、紅子にはそれが誰であるか、即座に分かった。

 春香だ。

 ところが、彼女は次の瞬間には闇の中へ姿を消してしまっていた。

 紅子に見つけられたことをさとったのかも知れない。

「待って!!」

 紅子は思わず叫ぶと、あとを追って駆け出していた。

 その背中を、さらに藤臣の声が追う。

「一色!?」

「すみません、トイレ行ってきますっ!!」

 肩越しにそう叫び返して、彼女は春香が消えた闇の中へ、自らも飛び込んだ。


 非常用ベルの位置を示す赤い光が、開け放されたままになっている鉄扉を照らしていた。

 その先は下へ降りる階段になっていて、舞台下の倉庫へ続いている。

 この学園祭の準備で、彼女も一度だけ入ったことがある。

 春香は倉庫の中へ入って行ったのだろうか?

 外へ出ていった形跡がないのを見て取ると、彼女は、自分を誘うようにぽっかりと口を開けている扉の向こうへ進んだ。

 木製の階段は、一段降りるたびに、いやな音をたてて軋んだ。

 中はほこりっぽく、かび臭く、そして、まったくの暗闇だった。

 だが、明かりのスイッチを探す前に、彼女は親友の姿をそこに見つけた。

 それは闇の中に青白く浮かび上がり、無言で、何の感情も交えない目をして、じっとこちらを見ていた。

 本当に、春香なのだろうか?

 紅子は背筋が寒くなるのを覚えた。

 まるで鬼火をまとっているような――

 それとも、この気味の悪さは闇と沈黙のなせる悪戯いたずらか?

「あ、あの、春香」

 彼女は思いきって話しかけてみた。

 ともかくも、久しぶりに会えたのだ。

 春香が自分のことを誤解しているのなら、それを解くチャンスは今しかない。

「逃げないで、聞いてほしいことがあるんだ」

 背筋が、妙にひりひりする。

 紅子はうなじをさすりながら、続けた。

「その……藤臣先輩とあたしのこと、なんか誤解してるんじゃないかと思っ」

「紅子」

彼女の言葉をさえぎったその声は、抑揚がなく、冷ややかだった。

「今、好きな人、いる?」

 そのとたん、紅子の脳裏をなぜか一瞬、竜介の顔がよぎった。

 彼女はあわててかぶりを振る。

「い、いるわけないじゃん」

 春香の顔が、ぴくりと動いた。

 だが、すぐまた元の無表情にもどると、彼女は言った。

「ウソツキ」

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