道には、昨夜の雨に打たれて落ちた木の葉が鮮やかな黄と紅の絨毯じゅうたんを織り敷いている。
目にも美しく、深まる秋の感慨にふけりたくなるところではあるが、急勾配の山道で、その上を歩くとなると話は別だ。
落ち葉の下に隠れているのが岩なのかぬかるみなのかわからないから、油断すると濡れた葉で滑ったり、スニーカーを泥まみれにしてしまう。
紅子は落ち葉の色など見る余裕もなく、ひたすら慎重に歩を進めていた。
勾配がゆるやかになったところで、足元に集中させていた視線をふとあげてみると、竜介はすでに数メートル先にいた。
道端に屈み込み、低木の茂みに手をつっこんで何かを取っている。
「冬苺って、食べたことある?」
紅子が急いで追いつくと、彼は立ち上がってそう訊いてきた。
「フユイチゴ?」
おうむ返しに訊き返す紅子に、彼は手を開いて、摘み取った物を見せた。
くぼませたその掌には、直径一センチくらいの房状になった赤い実がいくつか、宝石のように光っている。
彼はそのうちの一つをつまむと、「どうぞ」と言って彼女に差し出した。
受け取ったものの、本当に口に入れてもいいのかどうか紅子がためらっていると、
「食ってみなよ。うまいから」
と、彼はお手本を示すように自ら一つを口に放り込んで見せた。
紅子は再び、手の中の小さな赤い宝石に視線を落とした。
キイチゴを小振りにしたような、赤い果実。
だが、彼女の脳裏をよぎるのは、衛生上の問題、そして――
内部に潜伏している恐れのある異物(つまり、虫)。
けれど、昨夜の雨に洗われた果実の輝きは、それらを考慮に入れてもあまりあるほど魅力的だった。
歩き続けてのどがからからだったのだ。
ままよ、と口に入れるや、予想外に目の覚めるような甘味が舌の上に広がった。
「甘!おいしい!」
「だろ?俺のガキの頃のおやつだったんだ」
この山は俺の庭みたいなもん、などと自分の子供の頃の話を竜介が楽しそうにしていると、頭上から小さな影が降りてきて、彼の肩に止まった。
それはスズメくらいの大きさの小鳥だった。
頭と背が青く、腹側の白にオレンジの差し色が美しい。
「お客さんだ」
彼はそう言って、掌中の実を一つ、自分の肩にやって来た「客」にわけてやった。
小鳥は、竜介が差し出した実をくちばしで受け取り飲み込むと、うれしそうに歌い出した。
そのさえずりに合わせるように、竜介が軽く口笛を吹くと、ややあってあちこちから大小さまざまな鳥が集まり、あっという間に彼の周囲は鳥だらけになった。
竜介のそばに降りる場所が見つからない鳥たちのうち数羽は、代理とばかりに紅子の肩に。
驚いた紅子が、
「ちょっ、竜介、これどうしたらいいの?」
と助けを求めると、彼は笑って言った。
「木にでもなったつもりで、じっとしてたらいいんだよ」
その間にも、鳥たちはちいちいぴよぴよとにぎやかに鳴き交わしながら、竜介が手の中に持っていた実を次々平らげていく。
実がなくなったあとも、彼らはしばらく入れ替わり立ち代わり竜介の手のひらを覗きに来ていたが、
「残念、ごちそうは終わりだ」
竜介がそう告げると、その意味を理解したのか否か、二、三羽がまず飛び立ち、ついで残りが一斉に羽ばたいた。
「ひゃっ!」
眼前を飛ぶ翼の群れに、紅子は思わず小さく悲鳴をあげて目をつぶり、手で顔をかばう。
辺りが静かになって目を開けると、鳥はもう一羽もいなくなっていた。
竜介は自分の肩についた羽毛を払い落としながら、苦笑した。
「やれやれ、まさかあんなに来るとは。お客さんがちょっと多すぎたな」
「冬苺、結局一粒しか食べられなかったね」
紅子も自分の身体についた羽毛を払いながら言うと、
「そういえばそうだ」
竜介は今やっとそのことに気づいたという顔をして、軽く肩をすくめた。
「でもま、俺たちのおやつは、このあときみのおじいさんが用意してくれてるさ」
そう言ってから、彼はふと紅子の頭に目を留め、
「羽根がまだついてるぞ。取っていいか?」
「えっ、ほんと?お願い」
紅子はとっさにそう答えたが、竜介の手がすっと自分の髪に触れた瞬間、自分の意思とは関係なく心音が高くなるのを感じて、少し後悔した。
「取れたよ」
竜介は指先でつまんだ小さな白い羽根を、たんぽぽの綿毛にそうするように、ふっとひと息に吹き飛ばすと、
「あともうちょっとだ。がんばろうぜ」
そう言ってニッと笑った。
彼の足取りは、屋敷を出たときから変わりなく軽い。
一方、紅子はやはり遅れがちになる。
そこには体力や歩幅の差もあるのだろうが、彼がこの山を歩き慣れているということのほうが、たぶん大きい。
道の段差、傾斜。
どこに何があるかを身体が憶えているから、足元にあまり注意を払わずともつまずくことがないし、歩調を一定に保てるから、疲労は最小限ですむ。
「この山は俺の庭」と言ったのは誇張でもなんでもなかったわけだ。
竜介は、あの場所にフユイチゴの群生があることを知っていて、それを口実に、足が遅れ気味になっている自分を待っていてくれたんだろう、と紅子は懸命に足を運びながら思った。
その気遣いを、嬉しいとかムカつくとか判断できるほどの精神的余裕は、そのときの彼女にはなかったけれど。
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