「一色、いったいどうやったんだ?」
帰る道すがら、藤臣が尋ねた。
彼と紅子とは本来帰り道が逆方向なのだが、今日は彼がまたマスコミとのトラブルに巻き込まれることのないよう、紅子が遠回りをして彼を送ると主張した。
連中につきまとわれることに相当辟易しているらしい藤臣は、不承不承ながら、男性としてはいささか不名誉なこの道行きを受け入れたのだった。
「何がですか?」
紅子がわざと聞き返すと、藤臣は苦笑した。
「とぼけるなよ。あのとき、あそこにいたのは僕と一色だけなんだぜ。あの男をのしたのが僕じゃないなら、きみしかいないだろ」
彼は続けた。
「それにしても、すごいよな。一色が何か武道やってるってのは聞いてたけど、自分よりはるかにでかいあんな大男を」
「まあ、もういいじゃないですか、そのことは」
紅子は照れ笑いしながら、そう言って相手の言葉をさえぎった。
あのとき、藤臣に絡んでいた男は、完全に頭に血がのぼっていてまわりが見えていなかったから、背後に忍び寄ることは簡単だった。
彼女は硬気功を応用して男の首筋に衝撃を与え、意識を失わせたのだ。
が、実はこれは、玄蔵から決して人に向けて使うなと厳命されている危険な技の一つだった。
一歩間違えば相手を死なせかねない威力を持っているからだ。
紅子は力を慎重に加減したが、あの大男はしばらく軽いむち打ち症のような症状に悩むことになるだろう。
そんな危険な技を使ったことを下手に喋って玄蔵にバレるのも、門外漢である藤臣に一から説明するのも、面倒くさい。
だから、紅子は適当にごまかしてしまうことにしたのだ。
「それよりあの記者、マジで失礼なヤツでしたね」
さりげなく話題を変えようと、彼女は言った。
「井出先輩のお父さんが亡くなったのは事故じゃないとかなんとか……まるで犯人扱い」
それを聞いたとたん、藤臣は立ち止まり、きつい目で彼女を見た。
「聞いてたのか」
思いがけない詰問口調に、紅子は自分が意図的に盗み聞きしたかのような罪悪感を覚え、口ごもった。
「あっ……その、ちょうど通りかかったら聞こえてきて」
すみません。とつけ加えると、藤臣は我に返った様子であわててかぶりを振った。
「いや、僕こそごめん。助けてもらったのに……司郎の親父さんの話になると、つい」
「いいんです。だれだって腹立ちますよ、あんなひどいデマ」
藤臣の端麗な顔に、悲しげな微笑が浮かんだ。
「デマ、か……」
うっかりすると聞き逃してしまいそうな声で、彼はつぶやいた。
「ホントに全部、デマだったらよかったんだけどな」
しばしの沈黙の後、紅子はくわしく訊いていいものかどうか迷いながら言った。
「それって……どういう意味なんですか」
藤臣は、質問をはぐらかして秘密を守らなければという義務感と、誰かに全てを明かしてしまいたい衝動とのあいだでしばらく揺れていたようだったが、やがて、誰にも言わないと約束してくれと強く念押ししてから、話し始めた。
「発掘作業のない夜中に、おじさんが現場に行ったのは本当らしいんだ」
神経質に周囲を見回し、こちらに注意を向けている人間が誰もいないことを確かめると、彼は声を低くして続けた。
「でも、盗掘しようとしてたわけじゃない。おじさんが発掘してた遺跡で、物凄い発見があったのに、研究所に資金を出してる会社が、どうしてだかそれを握りつぶそうとしてたらしいんだ。だから、おじさんは大切な史料が壊されてしまう前に、自分たちで掘り出して世間に公表しようとして……そんなことがなきゃ、夜中に出かけてったりするもんか。どこの会社か知らないけど、悪いのは奴らだ」
吐き捨てるようにそう言い切る藤臣をよそに、紅子は独りつぶやく。
「物凄い発見って……どんなだったんだろ?」
「大きな岩をくりぬいて造った柩(ひつぎ)だったそうだよ」
藤臣は言った。
「なんとかっていう、中国の化け物の顔が蓋に彫り込まれてて、それが国内じゃとてつもなく珍しい史料になるはずだったらしい。でも、例の爆発事故で、司郎の親父さんと一緒に、木っ端みじんさ」
化け物の顔。
紅子の脳裏を、炎珠の台座の饕餮紋(とうてつもん)がよぎる。
まさか……まさか?
発掘中の遺跡で、原因不明の爆発事故。
テレビであのニュースが流れた翌日、亡くなった井出という人物が井出先輩の父親だったとわかり、学校は大騒ぎになった。
そして、竜介はまさしくその日、紅子の家にやってきた――
このタイミングの良さは、本当にただの偶然なのだろうか?
「労災の他に、大学進学のための奨学金も出してもらえることになったからって、司郎もおばさんも、マスコミに黙ってるんだ。まったく、人が好いんだから……」
信頼して話してくれたあいつを裏切れないから、僕もこのまま、マスコミ連中にはだんまりを通すつもりでいるけどさ、とてもいい人だったのに、おじさんのこと盗掘者みたいに言われるのを聞くと、黙ってるのが辛くなるんだ……たとえそれが単なるうわさでも。
正直、早くほとぼりが冷めないかと思うよ――
苦笑混じりの藤臣の言葉はまだ続いていたが、紅子の耳にそれはもはや届いていなかった。
彼女は相づちを打つことさえ忘れ、自分の思いに深く沈んでいた。
何も知らず、そうすることが正しいと信じ、司郎の父は死の柩を開いた。
心の中をいくら探しても、その行為を責める言葉を見つけることなど、紅子にはできなかった。
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