朝食のあと、日可理と志乃武に案内されて、紅子が着いたその場所は、屋敷の裏にある庭園のほぼ真ん中にある、小さな池のほとりだった。
池の中央には円筒形をした石造りのあずまやが建ち、その周囲を澄んだ水が巡っている。
水中には、色とりどりの錦鯉。
どこかの高級旅館を思わせるような豪華なしつらえだが、それだけだ。
何の変哲もない――ただ、その場に漂う独特の気配に気づかなければ。
その気配とは、言うまでもなく、御珠が近くにあることを示す、多幸感である。
気配ばかりで本体がちっとも見あたらないけれど、いったいどこに隠してあるんだろう?
一緒に来た竜介と鷹彦に尋ねると、彼らもここに来たのは初めてらしく、かぶりを振るばかりだった。
日可理たち姉弟は、昼間だというのに手に電池式のランタンを下げている。これもまた、謎だった。
「こちらへどうぞ」
日可理にうながされ、池の真ん中にあるあずまやへ続く丸い石橋を渡る。
その建物は、白っぽい花崗岩(かこうがん)を組み上げて作られていた。
完成当初は、屋根といわず柱といわず、研磨されること鏡面のようだったと思われるが、長年の風雪に往年の光沢は削り取られ、彫刻の角々もほぼ欠け落ちてしまって今は見る影もない。
その意匠は全体に中国風だったけれど、床だけが少し風変わりだった。
正五角形の中に五芒星(ごぼうせい)が描かれ、星はその中央から鋒芒(ほうぼう)に向かって、各々色タイルで赤・黄・白・黒・青の五色に染め分けられていたのである。
この五芒星の上に立ったとき、紅子は御珠の気配がいっそう強くなったのを感じた。
九年前と同じ感覚が彼女を襲う。
――呼んでいる。あたしを。
この、足の下にあるものが。
「紅子さま」
日可理の声で、彼女は我に返った。
「今から床を開けますので、端へお寄り下さい」
床を開ける?
紅子は言われるまま、星形の外に出ながら、頭の中で言葉を繰り返した。
どういう意味だろう?
「どうやら、床に何かしかけがあるみたいだね」
鷹彦が言うと、あずまやの入口に立った日可理がにっこりした。
「見てのお楽しみですわ」
彼女は弟とうなずきあうと、おもむろに建物の入り口左右を飾る怪物の顔――饕餮紋(とうてつもん)――のうち、向かって右側の口に手を差し入れた。
おそらく、その口の中にしかけのスイッチのようなものがあったのだろう。
次の瞬間、低い地鳴りのような音が足元から聞こえたかと思うと、あずまや全体が微震した。
「な、何?」
「地震か?」
日可理たち姉弟を除く三人が、当惑しながら手近な柱につかまろうとしたそのとき、がこん、という音とともに床が口を開けた。
紅子がついさっきまで立っていた五芒星の正五角形部分が空間になり、そこから人間二人分くらいの幅の階段が下へむかってのびていた。
「まさか、こんなしかけがあるとはね」
感心する竜介に、
「うちは先祖のころから、ギミック好きだったようです」
と志乃武は笑った。
「足元にお気を付け下さいね」
日可理はランタンのスイッチを入れると、そう言って先に立ち、階段を降り始めた。
階段を降りるにつれて、紅子は何かに浸食されていくような感覚に再びとらわれつつあった。
ヘリポートで、半獣人と対峙したときと同じように、視界が揺らぐ。意識の焦点がぼやけていく。
それなのに、なぜか周囲の気配は鮮明に感じ取れた。
先頭に立つ日可理、自分の後ろには竜介と鷹彦、そして最後に志乃武。
だれも、あたしの変化に気づいてない――
ぼやけた意識の片隅で、紅子は少しほっとする。
彼女の身体はその意識的な支配を離れて、勝手に危なげなく階段を下り、そして――
下りきった先には、驚くほど広い空間が待っていた。
ちょっとしたパーティーを開けそうなくらいの、その円形の部屋は真っ暗で、日可理と志乃武の持つ二つのランタンの明かりだけが頼りだ。
部屋の中央には、これも円形の、石柱が立っていた。
太さは、紅子が両腕を広げてようやく円周の半分くらいだろうか。柱の上のほうはランタンの明かりが届かないために闇に沈んでいる。
紅子は――というより、紅子の身体は、引き寄せられるようにしてその柱に触れた。
薄明かりの中、マーブル模様が浮き上がるその表面には、らせん状の溝が彫られている。
ここだ、と紅子は思った。
この中にある。
それがしきりに呼びかけてくるのだ。
言葉ではない言葉で。
そのとき、志乃武の声が聞こえた。
「紅子さん、少しさがっていてください」
と同時に、だれかが紅子の手をとり、円柱から引き離した。
気配で、それが日可理だとわかる。
「紅子さまは、この中に何があるかお分かりなのですね」
そんな声が聞こえたが、まるでよそ事のように意識を素通りしていく。
竜介と鷹彦も、すぐ近くで何か言ったようだった。
志乃武の気配だけが、遠い。
今通ってきた、この空間の出入り口付近にとどまっている。
壁に手を当てて――何してるんだろう?
そう思った次の瞬間、地下への階段が現れたときのように、またもや部屋が鳴動した。
目の前の柱が、らせんを描きながら、ゆっくりと地面に沈んでいく。
柱に彫られていた溝は、飾りではなく、この機構のためだった。
そして――
柱がなくなったその場所に、白銀の光で辺りを満たす宝玉が現れたのだった。
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