2023年8月7日月曜日

紅蓮の禁呪第56話「白鷺家(しらさぎけ)」

 「志乃武くん、両手に花だね。うらやましいなぁ」

 中庭に出てくるなり、鷹彦が開口一番に言ったのがこれである。

 今朝までのお通夜のような顔をした彼を知っているから、いつもの調子がもどったのは喜ぶべきことなのだが、これはこれでうっとうしい、と紅子は思う。

 志乃武はしかし、鷹彦の軽口に慣れているのだろう、にっこり笑って立ち上がった。

「よかったら席を代わりましょう」

「いいの?ありがとう!」

 鷹彦は満面の笑みで今まで志乃武が座っていた席に腰を下ろし、志乃武は日可理の反対側の隣に移動。

 紅子は鷹彦と距離を置きたくて反対側の隣席に移ろうとそちらを見たが、あいにくとその最後の空席には、ちょうど竜介が腰を下ろすところだった。

 シャワーを浴びて身なりを整えた彼は、当然のことながら起き抜けよりもこざっぱりした印象だ。

 とくに、あごの辺り。

 あ、ヒゲ剃ったんだ、と紅子は思った。

 起き抜けのときも、そんな目立ってたわけじゃないけど、こうして比べるとやっぱり違うな。

 でも、一日二日であの程度だとしたら――

 竜介のあのむさくるしいひげ面の記憶を、彼女は脳裏に呼び出した。


 あんなことになるには、一体何日くらいかかるんだろう?

 っていうか、そんなに長い間、どこで何してたの?


 そんなことを考えていたら、視線に気づいたらしい竜介がこちらを見た。

 思わず目が合ってしまったが、微笑する彼にどういう顔をしたらいいのかわからない。

 一瞬、紅子が挙動不審に陥りかけたとき、志乃武が言った。

「竜介さんがこの屋敷に来られたのは二年ぶりですね」

 竜介の視線が志乃武のほうへそれて、紅子は内心、胸をなで下ろした。

 見れば、テーブルにはいつの間にか冷水が入ったグラスが置かれ、夕顔と朝顔が料理の乗った皿の給仕を始めていた。

「ああ、やっぱりあれは二年前だったか」

 竜介が記憶を確かめるように言った。

「たしか、おばあさんのお通夜に、親父の代理で来たんだっけ」

 日可理がうなずく。

「時間も遅うございましたし、翌日の葬儀のこともありましたので、泊まっていただきましたね」

 それを聞いた紅子は、竜介がここに泊まった理由を知ってなぜか気分が軽くなる自分を感じたが、そのことについて深く考える前に、志乃武が

「皿が行き渡ったようですので、冷めないうちにどうぞ」

 と料理を勧めてくれたおかげで、意味不明な内心の葛藤をせずに済んだのだった。


「ところでさ、二人とも、大学って今どうしてる?」

 食事をしながら、鷹彦が日可理たち姉弟に尋ねた。

「俺はとりあえず休学申請したんだけど」

「僕も同じく休学ですが、日可理は地元だから……」

 志乃武がそう言うと、日可理がうなずいて言葉をつないだ。

「ええ、わたくしは休学は今のところ考えておりません。でも、念のためお仕事の量は減らすようにしているんです。急なキャンセルでクライアントに迷惑をかけるわけにはいきませんから」

「えっ、日可理さんって働いてるんですか?」

 紅子が驚いて尋ねると、鷹彦がわけ知り顔に、チッチッチ、と舌を鳴らしながらひとさし指を立てて言った。

「紅子ちゃん、日可理さんはその道じゃ有名な占い師さんなんだよ」

「占い?」

 紅子がおうむがえしに尋ねると、日可理は志乃武と一瞬顔を見合わせて苦笑してから、

「雑誌やテレビで仕事をしているわけではないので、一般的な意味での有名とは違うと思いますけれど」

 と、彼女が祖母から受け継いだ仕事の話を、食事のつれづれにしてくれた。


 日可理は『星見』という東洋式の占星術によって未来を見ることを仕事とし、政財界に顧客を持っているのだが、そのほとんどは祖母、十和子から引き継いだもので、日可理に『星見』の術を教えたのも彼女だった。

 白鷺家の遠縁にあたる神社から白鷺家に嫁した十和子は、異能こそなかったが、直感にすぐれた人だったらしい。

 海外を飛び回って忙しい息子夫婦に代わり、彼女は夫と共に日可理たち姉弟の親代わりともなって、彼らに御珠や異能についての知識を授けるうち、日可理の『星見』としての能力を見いだした。

 日可理は十代の頃から十和子に師事して『星見』を学び、彼女亡き後、その仕事を引き継いだのだった。


「へえ、おばあさんが親代わりって、なんだかちょっとうちと似てるかも」

 紅子がそう言うと、日可理はにっこり笑った。

「紅子さまも、おばあちゃんっ子でいらしたのですか?」

「はい。うちは母が早くに亡くなったので」

 紅子が何の気なしにしたこの返答に、日可理は少し慌てた様子で、

「あ……ごめんなさい」

 と言った。

「存じ上げていたのに、わたくしったら……すみません」

「ん?存じ上げてたって、何を?」

 紅子が怪訝な顔で尋ねると、

「紅子さんのご家族のことですよ」

 日可理の代わりに志乃武が説明してくれた。

「白鷺家は紺野家と基本的にツーカーですから、紅子さんのことは、よく存じ上げています。ことによったら、紅子さんご本人以上にね」

 と志乃武から大きなウインクをされて、紅子は思わず赤くなった。

「あのー、じゃあ、もしかしてあたしの学校の成績なんかも……?」

「あはっ、それはさすがに知りません。個人的にはとても興味がありますけど」

 楽しそうに笑いながら、志乃武が言った。

「ああ、でも、お父さんが武術道場の宗主だということは聞いていますよ。紅子さんも相当な腕前だそうですね?」

「それは……ええっと」

 たしかに腕に覚えはあるけれど、そのまま答えたものかどうかと紅子が迷っていると、横から竜介が言った。

「ああ、その通りだよ。俺、ぶっとばされかけたもんな」

 そのとたん、

「ほう」

 と志乃武、

「まあ」

 と日可理、

「ちょ、その話もっと詳しく!」

 と鷹彦がそれぞれ声を上げて、一斉に紅子を見た。

 その場の三人の注視をあびた紅子はしどろもどろに、

「違……っていうか、あれはその、もののはずみで……」

 と言いながら、横目で隣席の竜介をちらりと見た。

 彼は目顔で、「続けていいよ」と言っている。


 それって、竜介が凄まじい格好でうちの庭にいたって話をしてもいいってこと?


 と紅子は一瞬思ったが、日可理たち姉弟に視線をもどしてみて、それはやめておくことにした。

 日可理たちが竜介のああいった一面を知らなかったとしたら(おそらく知らないだろうけれど)、あのときのことをそのまま話しても信じて貰えないだろうし、下手をすればとんでもない悪口になってしまう。

 そういうわけで、紅子は事実の大半を端折って、竜介が一色家に来た日のことを話した。

 つまり、自分は彼を泥棒と間違えて硬気功で大けがをさせたのだ、と。

 この話に対する三人の反応は以下の通り。

「まあ、そんなことがあったのですね」

 と日可理は目を丸くし、

「思いのほか頼もしいお嬢さんでよかった。これなら安心して封印の鍵を任せられそうです」

 志乃武はにこやかに。

 そして、

「ええ~、そんなの俺が期待した話と違う!」

 という鷹彦のコメントに対しては、

「そろそろお茶とデザートをもらえるかな」

 という竜介の言葉が事実上の返答となって、この話題は終わったのだった。


 デザートが終わる頃、日可理が静かに促した。

「志乃武さん、そろそろあのお話を」

「そうだね」

 と志乃武がうなずき、残りの三人にむかって言った。

「竜介さんの意識が戻ったので、少し急ではありますが、明朝、紅子さんの魂縒(たまより)を行いたいと思います」

 日可理が弟の言葉を引き継ぐ。

「昨日、わたくしたちは鷹彦さまと紅子さまから、ヘリを襲撃した怪物の群れや、あのヘリポートを壊滅状態に追いやった黒珠のことを聞きました。それで、急いだほうがいいと」

「一ついいかな」

 竜介が日可理をさえぎるように言った。

「俺、ヘリポートを襲った黒珠の話はまだ聞いてないんだ。どんなやつだったか教えてくれないか」

「上半身は人間の女、下半身は黒ヒョウみたいな化け物だよ」

 紅子が答えた。

「尾は蛇みたいで、それだけ別の生き物だったの。竜介を襲ったのは、そいつ」

 本体を焼き殺したあとも生き残ってるとは思わなかったから、あたし油断してて……。

 少しうつむき加減にそう話す紅子を見て、竜介は、自分のそばでうたた寝していた彼女の目頭にあった小さなしずくを思い出した。


 あれは、そういう意味だったのか――


「あのとき油断してたのは、俺や鷹彦も同じだよ」

 竜介が言うと、鷹彦もすぐさま同意した。

「そうそう、竜兄がドジ踏んだだけなんだから、紅子ちゃんが気にすることないって」

「う……うん、ありがと」

 自分のミスだと思って悔やんでいた紅子は、二人の言葉で気持ちが少し軽くなる反面、何だか面はゆくて、

「それにしても、事故を起こして志乃武くんたちを足止めしたり、俺らをはめたり、化け物のくせにあったまいーよな」

 と鷹彦が話を元にもどしてくれたときはほっとした。

「あの半分獣の化け物、自分は人の考えてることが聞こえるんだって言ってた」

 紅子は言った。

「だから、待ち伏せとかもできたんだと思う」

「人の心を読む化け物か……」

 竜介は腕組みをして、独り言のようにつぶやいた。

「完全に俺たちの読みが甘かったな。今回は、紅子ちゃんが力を使えたおかげで助かったけど」

 志乃武がうなずいた。

「彼らは予想外に早く力を取りもどしつつあります。今回のような幸運は二度はないと思ったほうがいいでしょう」

「だな」

 鷹彦もうなずく。

「じゃ、明日の朝ってことで」

 と全員が同意しかけたそのとき、

「急ぐなら、今からでもよくない?」

 紅子が何の気なしに言ったこの一言に、しかし、残りの四人は微妙な表情を浮かべた。

「もしかして、紅子さまはご存知ないのですか?」

 日可理が言った。

「魂縒のあとは、しばらく御珠の力が弱まるのですよ」

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