2023年8月14日月曜日

紅蓮の禁呪第125話「冬の始まり・二」

  巨大な黒い人造樹が鎮座する大広間。

 フード付きの黒い長衣をまとった「影」たちが、床にびっしりと張り巡らされた黒い樹根の間をせわしなく往来している。

 樹根のあちこちにある巨大な瘤(こぶ)――つるりとしているので卵のようでもある――の一つ一つを覗き込んでは、手のひらをかざして、何かのパラメータらしい複雑な模様を表示させ、「卵」の状態を確認しているようにも見える。

 そんな彼らの姿は、壁や天井に彫られた饕餮紋(とうてつもん)が放つ青白い薄明の中、まるで異形の神に冒涜的な踊りを捧げる、狂った巫祝のようだった。

 と、そんな息をつく間も惜しむかのように動き回っていた「影」たちが、突然、ぴたりと止まったかと思うと、一斉に広間の入り口にむかって膝をつき、頭を垂れた。


「かまわぬ。皆、作業を続けよ」


 そう言いながら広間に入ってきたのは、黒い鎧を着けた大柄な男。龍垓だった。

 「影」たちがもとの動作に戻る中、彼は樹根を避けながら人造樹の根元に歩み寄った。

 そこには人一人がすっぽり入れるくらいの大きな節穴が口を空け、様々な太さの管が内部に集中している。

「肘の具合はどうだ」

 龍垓は穴の上にかがみこむと、中で管に繋がれている小さな人影に声をかけた。

「迦陵?」

 内側に張り巡らされたクッション材に包まれて横になっていた迦陵は、うっすら目を開けると、


「これは……主上」


 と、重たげに身じろぎした。

「よい。そのまま」

「は……」

 龍垓に手で制されると、迦陵は素直に元通り横になった。

 普段は凶刃がぎらつく両手の甲も、今は体内に収めているのだろう。甲には小さな傷跡のようなものが見えるだけだ。

 いつもの剣呑な気配も鳴りを潜め、今の迦陵はただの小柄な少女のようだった。


「早く儀式を進めねばならぬときに……不覚を取り、申し訳ございませぬ」


 迦陵は、人造樹の根元に置かれたひときわ大きな「卵」に視線を注ぎながら言った。

 同じ大きさの「卵」は全部で四個。

 どれも他の「卵」に比べて多くの管が集中し、天頂部に饕餮紋が黒く刻印されている。

「伺候者のことか」

 龍垓は部下の視線を追って、言った。

「そう気に病まずともよい。汝一人の怪我を癒やすために黒珠の霊力を多少分けたところで、あれらを育てるのに何ほどの障りがあろうか」

「もったいないお言葉……」

「むしろ、治る怪我で安堵しておる。我にはもはや、汝しかおらぬのだからな」

 龍垓は続けて、小さくつぶやいた。


「乱荊も結局、あの神女の炎に焼かれてはどうにもならなかった……」


 人ならざる異形の彼らだが、炎珠の力によって受けた傷だけは、彼らにとってこの世で唯一致命的なものであるらしい。

「精々、養生に励みまする」

「うむ」

 そのとき、うなずく主人の顔を一瞥した迦陵がわずかに眉をひそめた。


「ときに……その頬は、いかがされましたか」


 それは龍垓の左頬にできた小さな火傷だった。

 赤黒くただれた傷は、彼の肌が白いせいでひときわ目立っている。

「おお……これか」

 龍垓は頬の傷を確かめるように触れると、にやりと笑った。


「さきほど、意識が戻ったと『影』が言うので、ちと様子を見に行った時にな。これほどの力があれば、封禁の儀にも期待が持てるというものよ」


 迦陵の眉間のしわが深くなる。

 だが、龍垓はそれに気づくことなく、

「邪魔をしたな」

 と立ち上がり、上機嫌のまま歩み去った。


「炎珠の力は、両刃の剣にございますぞ……」


 迦陵は遠のく背中にそうひとりごちると、動けない我が身の歯がゆさに、薄い唇を噛み締めた。


 あの神女からは、災いの匂いがする――


 それは、人ならざる者の予感か、あるいは自分たちを封印の憂き目に遭わせた炎珠への憎悪か。

 いずれにしても、迦陵は己の予感した災いの根を、その鎌で刈り取る機会を永遠に逸することとなったのだった。


 * * *


 虎光が涼音を連れて帰るのを見送って、泰蔵が食堂に戻ると、竜介は食卓の椅子に座って携帯を操作しているところだった。


「玄蔵に連絡するのかね?」


 泰蔵は竜介の隣に腰を下ろしながら尋ねた。

「はい」

 うなずく竜介の目尻は少し赤らんでいる。

「白鷺家への連絡は、鷹彦に頼んでおきました」

 泰蔵は、うむ、とうなずき、

「とりあえず、直接会う約束だけ取るのがいいだろうな……。玄蔵がどう出るかにもよるが」

 竜介は通話先を呼び出し始めた携帯を耳に当てながら、

「……そうですね」

 と、少し上の空で返事をした。

 泰蔵はその様子を見ながら、少なからず心配になった。

 一色家への連絡は、最も優先しなければならない仕事だが、最も気が重い仕事でもある。

 それを、竜介はあまりに淡々とこなそうとしている。


 紅子を失った痛みは、彼とて小さくないはずなのに――


  玄蔵はさほど時をおかず電話口に出たようで、竜介は型通りの挨拶を口にしたあと、

「実は、紅子ちゃんのことで、直接ご報告したいことがあります」

 と切り出した。

 泰蔵は、もしも玄蔵が電話口で取り乱しすぎて竜介が対応しきれないようなら、電話を代わろうと身構えていたのだが、通話は思った以上にスムーズに終わった。

「……はい。お時間をいただいて申し訳ありませんが……いえ。はい、ありがとうございます……それでは明日の午後、よろしくお願いいたします」

 そう言って携帯を切る竜介の顔は、心なしか少し気が抜けたようだった。

「ずいぶん、あっさり終わったな」

 泰蔵も愁嘆場を免れてほっとしたような、複雑な気分で言った。

 電話ではできないような話だと言われた時点で、話の中身については玄蔵もおおよその察しはついているはずだが――


「玄蔵のやつ……覚悟しておったのかもしれんな」


 泰蔵がそうつぶやくと、

「どうですかね」

 竜介は懐疑的だった。

「明日は、こんなに簡単には行かないでしょう」

 それもそうだ、と泰蔵も思い直す。


「すまんな。つらい仕事をさせて……」


「いえ、師匠が謝るようなことじゃありませんよ」

 竜介は言って、椅子から立ち上がった。

「それより、客間の様子を見に行きましょう。もう白鷺家と連絡がついているはずです」



 客間では、日可理は変わらず布団の中に静かに横たわっていたが、枕頭には鷹彦の他に客が増えていた。

 黄緑色のメイド服と、深緑色のメイド服。


 志乃武の式鬼、昼顔と夜顔である。


 二人――人ではないので、二体というべきか――は、眠っている日可理の額や胸の上に手をかざし、白く輝く法円の幾何学模様を見つめているところだったが、竜介たちが入ってくると法円を消して居住まいを正した。

 鷹彦は目を赤く腫らしていたけれど、比較的落ち着いた声で、志乃武と連絡が取れたことを報告し、式鬼たちを泰蔵に紹介した。

 昼顔と夜顔はまったく同じタイミングで静かに頭を垂れると、行儀よく交互に、泰蔵へは初対面の挨拶を、竜介には日可理を保護してくれた礼を述べた。


「それで、日可理さんの具合はどうかね」


 泰蔵が言った。

「医者を呼ぶこともできるが……」

 すると、式鬼たちはユニゾンで答えた。

「それには及びません」

「日可理様の中に潜んでいるものを、私どもが今から排除いたします」

 と、昼顔。次いで夜顔が、

「ただ、一つお願いがあるのですが」

「わしらにできることなら」

 泰蔵が少し緊張した面持ちで応じると、昼顔が口元にあるかなきかの笑みを浮かべ、言った。

「大きめのタオルを数枚、お貸しくださいませ。寝具を汚しては申し訳ないので」

 泰蔵がタオルを取りに席を外すと、式鬼たちはこれから始まるであろう日可理の「治療」の準備らしきことを始めた。

 昼顔は日可理の頭上に座って、彼女の額の上に再び白い法円を出現させた。

 浮かび上がる幾何学模様を、細い指先が繊細な動きで触れている。

 夜顔はというと、やおら日可理の両手両足を夜具から出し始めたため、竜介と鷹彦はぎょっとなった。


「あの、俺たち、席を外したほうがよくない?」


 鷹彦が腰を浮かせかけながら言ったが、夜顔は日可理の両方の手首と足首に白く輝く法円を嵌め込みながら、表情を微塵も変えずに

「いいえ。むしろ、ご同席をお願い致します」

 と答えた。

「これ――手足の法円――は万一に備えて日可理様の動きを制限するものですが、不測の事態もありえますので」

 ほどなく泰蔵が戻ってきて、夜顔にタオルを手渡すと、日可理の「治療」が始まった。

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