2023年8月3日木曜日

紅蓮の禁呪19話「護衛」

  翌日の月曜日から、部活や文化祭の準備などで紅子の帰りが遅くなると、校門から少し離れたところで、竜介が待っているようになった。

 先日来、彼女は藤臣と二人きりになることを徹底的に避けていたから、迎えに来た竜介が彼と鉢合はちあわせする、などという、ややこしい事態は起きなかったけれど、竜介と肩を並べて帰るということも、これはこれで彼女にとってはあまり愉快でない状態であることに変わりなかった。

「迎えになんて来てくれなくていいのに」

紅子が不服そうに口をとがらせると、竜介が言った。

「この前みたいなことがあると困るだろ?」

「じゃあ何で昼間はくっついてないわけ?」

「連中は今のところ、日中は活動してないみたいだから、必要ないと思ってさ。大丈夫、念のため、君への監視はつけてるよ」

それから、彼はにやりと笑って付け足した。

「それとも、俺に一日中見つめられていたいってんなら、それはそれで考えても……」

「だっ、誰もそんなこと言ってないっ!!」

紅子が真っ赤になって言い返すと、竜介はおかしそうに笑った。


***


 そんな調子で、何事もなく五日が過ぎ、再び土曜日。

 そしてこの日は、紅子が通う高校の、文化祭当日でもあった。

 文化祭の出し物の定番といえばやはり喫茶店だが、ご多分にもれず、紅子のクラスの出し物がまさにそれであった。

 正門に設けられた受付を通過しなければならないとはいえ、この日だけは、部外者の立ち入りも黙認される。

 だから、ナンパ目的でやってくるひまな大学生グループなどをカモるため、女子生徒は全員、制服にエプロンという出で立ちでウェイトレスをすることになっていたのだが、実際、これはかなりの集客効果をもたらしたようだ。

 今にも雨の降り出しそうな、あいにくの曇天どんてんにもかかわらず、そこそこの客入りだったのだから。


 そういうわけで、午後から始まるこの日のメインイベントの一つ、現音の体育館ライブが始まるまでは、紅子もクラスメイトに混じって、趣味でもないフリル付きのエプロンを着、やにさがった男性客どもをぶん殴りたいのもこらえつつ、オーダーを取ったり、飲み物を運んだりと、忙しくしていたのだが――

 春香のヤツ、今日も欠席するのかなぁ……。

 彼女の親友、春香が学校に来なくなって、まもなく一週間が経とうとしていた。

 紅子は部活で遅くなった日以外、彼女の家までプリント類を届けに行っていたのだが、本人と顔を合わせることはついぞなかった。

 教室内には、「登校拒否なんじゃないか」などという噂うわさも流れはじめていた。

 ある意味で、この噂は的まとをえているかもしれない、と紅子は思った。

 そして、その原因は自分にあると今やほとんど確信していた。

 先週の土曜のあの時、どいうわけか、春香は部室の外に来ていて、何か大きな誤解をしてしまったのだ。たぶん。

 何とかしてその誤解を解きたいけれど、避けられていてはどうしようもない。

 深々とため息をついた、そのとき。

「そこのカノジョ~」

と、文字通り間が抜けきって、聞くだけで脱力しそうな若い男の声が聞こえた。

「オーダー、取りに来てくんなぁ~い?」

 またか、と紅子は思った。

 今日はあと何回くらい、この手の輩を相手に愛想あいそ笑いをせねばならないのだろうと思うと、ため息はいっそう深くなった。

「そこのカ~ノジョってば~」

 手の空いているクラスメイトは他にない。

 どうやら、彼女が行くしかないようだ。

 紅子は我が身の不幸と、ニヤけた男どもに対する理不尽りふじんな殺意を覚えながら、しかし、どうにか顔には笑みを浮かべ、声の方へ向き直った。

 が。

 声の主を見たとたん、その微笑もたちまち消え失せた。

「なっ……なっ……」

 そこでは、竜介がにこにこ笑いながら、手を振っていたのである。

「何であんたがここにいるのよ――――っっっ!?」

学校中に響きわたる声で怒鳴りつけたいのを懸命にこらえ、できるだけ声をひそめて、彼女は言った。

「ごあいさつだなぁ」

竜介は憮然ぶぜんとして言った。

「親父さんが来れないから、父兄代理で来たのに」

「来んでいい、来んでっ!!だいたい、親父にも来るなって言ってあったはず……」

「一色」

紅子の言葉が終わらないうちに、聞き覚えのある声が、背後から彼女を呼んだ。

それは、できればこの場には一番現れて欲しくない人物だった。藤臣である。

「あ……いいいいらっしゃいませ」

 紅子の声はうわずり、笑顔は引きつっている。

 が、彼はそんなことには気づかぬ様子で、のんびり室内を見渡すと、言った。

「うちのクラス、手が空いたから来てみたんだけど、結構混んでるね」

「ははい、おかげさまで」

「紅子ちゃん」

竜介が口を挟んだ。

「俺、ホットね」

「水でも飲んでとっとと帰れば?」

「ひでーなぁ。コーヒーくらい飲ませてよ」

 紅子がめんどくさそうにオーダーを取っている傍らで、藤臣はちょっと驚いた顔で竜介を見ていた。

「こちら、知り合い?」

「え?」

 藤臣に尋ねられて、紅子はふと、これは彼に一週間前の申し出を完全にあきらめてもらえる千載一遇せんざいいちぐうの好機かもしれない、と、かなり真剣に思った。

 もしここで竜介のことを、恋人だと言ったら?

 しかし、たとえウソでも、竜介相手にそんな演技はできそうにない。

 第一、藤臣には一週間前、「好きな人はいない」と宣言したではないか。仕方ない、この作戦は却下だ。

 紅子は正直に答えた。

「あ、あの、いとこ……です」

 竜介は彼女の紹介を受け、藤臣に軽く目礼して、相手の制服の襟えりにつけられた学年章をちらりと見た。

「君は、紅子ちゃんの先輩?」

「そうです。同じクラブの」

 それきり会話が途切れ、気まずい沈黙が流れた。

 紅子は何か気の利いたことを言って間を保たせようとしたが、うまい言葉が出ず、黙り込む。

 竜介はと言えば、彼女の態度から、何となく事情を察してはいたが、初対面の高校生から、探りを入れるような、やや棘とげのある視線をぶつけられ、改めて自分の推測に確信を持っていた。

 だから、藤臣の視線を跳ね返すようなことはせず、やんわり受け止めることに終始したのだが、その余裕のある態度が、余計に彼を刺激したようだ。

「悪いけど、用を思い出した」

藤臣は紅子に向き直ると、言った。

「お茶は、また後にするよ。それじゃ」

 足早に教室から出ていく彼の背中を見送った後、竜介が言った。

「追いかけなくていいのかい。彼、絶対になんか誤解したぜ」

「いいの」

 紅子は、ほーっとため息をついた。

 安堵あんど感と罪悪感の入り交じった、複雑な気分。

「そーゆー関係じゃないから。オーダー、ホットだったよね。すぐ持ってくるよ」

 そう言ってくびすを返したとき、彼女は開けっ放しになっている廊下側の窓の外から視線を感じ、何気なくそちらに目をやった。

 そこにいたのは、確かに春香だった。

 彼女は、病み上がりらしい少々青ざめた顔で、だが、制服はきちんと着て、こちらをじっと見ていた。

「春香!」

 登校してきたんだ!

 紅子は弾かれたように廊下に飛び出した。

 ところが――

 廊下に出てみると、どういうわけか、春香の姿はかき消すように消えていたのだ。

 まるで、今見たものは、思い悩む紅子自身の心が見せた、幻だったかのように。

 紅子は何もわからず、ただ呆然とその場に立ちつくすばかりだった。

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