2023年8月1日火曜日

紅蓮の禁呪3話「破られたまどろみ・二」

  鷹彦は結局、そのまま発掘作業のバイトを続けることにした。


その年は記録的な猛暑で、遮蔽物しゃへいぶつの一切ない屋外での作業はかなりきつかったが、自分の先祖たちが長い歳月を費やして探してきたものへの強い興味が、彼を引き留めたのだった。

 遺跡の規模はそこそこ大きく、出土品や礎石の配置様式などから、神社らしいということはわかっていた。

 建てられたのは、おそらく、奈良時代。

 ただ、誰が建てたのか、どういう神を祭祀まつっていたのかということは、さっぱりわからない。

 地面に焼けこげたあとがあるところから、建物は火災にあって焼け落ち、資料となるような木管や巻物のたぐいも、おそらくそのとき一緒に焼失してしまったのだろう、というのが調査隊の推論だった。

「焦げあとのあった地面の土を、化学分析にかけた結果が届いたんだが」

 プレハブの休憩所でノートパソコンを開き、仕事をしていた虎光のところへ、井出所長がそう言ってやってきたのは、彼と鷹彦がここへ来て二週間あまりがすぎた頃だった。

 いくら長いとはいえ、大学の夏休みももう終わりだ。

 虎光はいったんパソコンを閉じると、

「ありがとうございます」

と、相手のさし出す紙片の束を受けとり、さっそく目を通した。

 そのレポートによると、ここでかなり大きな火災があったのは、今からおよそ四百ないし六百年くらい前。

 おおまかではあるが、彼の先祖が「あれ」の安置場所を見失った時期に重なる。

 やはり、ここにあることはまちがいなさそうだ。

 ブツを見つけたら、忙しくなるなぁ。

 虎光は、そんなことを考えながら報告書をしまおうとして、井出がまだその場にいることに気づいた。

「何でしょうか?」

 虎光が尋ねると、彼は、日に焼けた顔に少し困ったような笑いを浮かべた。

 年齢は四十歳をすぎているはずだが、日焼けのせいか、かなり若く見える。

「いや、マスコミへの発表をそろそろどうか、と思ってね。一般公開の日程も決めなければならないし、学会に出す論文のこともあるし」

 来たか。と、虎光は苦く思った。

「申し訳ありませんが、それはまだ少々お待ちください」

 肝心のブツがまだ出てねーのに、公表日程なんか決められるか。

 が、彼の内心のつぶやきなど知るよしもない、人の善さそうな教授はけげんそうに眉をひそめる。

「なぜかね。出土品は充分そろったし、あらかた発掘は終わったと思うが」

 どちらかというと整った顔立ちの鷹彦と違い、虎光ははれぼったい一重まぶたのせいで、どこか茫洋とした印象なのだが、こういう場面ではその一重まぶたのおかげで表情を読まれにくい。

「地元の観光協会から、連絡がありまして」

と、虎光はできるだけソフトな口調で言った。

「秋の行楽シーズンに合わせて歴史キャンペーンを催すので、公表はその直前くらいにしてもらいたいと。観光客を呼びやすくしたいそうです」

「なるほど、そいつはいいな」

井出はそう賛同しつつも、当惑気味にあごをなでた。

「しかしそれじゃあ、学会に論文が……いや、専門誌に寄稿すれば……」

などとぶつぶつ独りごちている「先生」を、虎光は醒めた目で眺める。

 うちがブツをがめたら、この先生、怒るだろーな。どうやってごまかすかな。

 そんなことを考えていた、そのとき。

「先生、ちょっと来て下さい!!」

 助手の大村が、あわただしく駆け込んできた。

「どうした。何か出たか」

 教授の質問に、彼は呼吸を整えるいとまさえ惜しむようにうなずき、言った。

「本殿跡ほんでんあとの地面から、妙なモノが出てきたんです!」


 外に出てみると、蒸し暑さは昼間と変わりなかったが、東の空には、すでに夕闇が迫りつつあった。

 大村の言う「妙なモノ」とは、巨石をくりぬいて造られた、重厚な柩ひつぎだった。

 幅は一メートル、奥行きは七、八十センチ、といったところだろうか。下半分がまだ土中に埋まっているため、正確な高さはわからないが、おそらく一メートルを越えるだろう。

 虎光たち三人が駆け足でやって来るのに気がつくと、石柩せきひつを取り囲んでいたほかの作業員たちは、誰からともなく道をあけた。

 作業員の中にはもちろん鷹彦もいる。

 彼は兄と視線を合わせると、目顔でうなずいて見せた。

 問題の物が出たのだ。

 石柩の表面は、長い間地中に埋まっていたせいでかなり摩耗まもうが激しかったが、驚くほど精緻な彫刻が施されているのが、かろうじて見て取れた。

 とくにふたの部分には、古代中国の饕餮とうてつに似た怪物の顔が彫り込まれ、その不気味につり上がった両眼は、燃え立つような夕暮れの空をまっすぐににらみあげていた。

 虎光は、柩のふたと本体の継ぎ目を見た。

 それはぴったりと合わさっている上に膠にかわか何かで接着した跡があり、ちょっとやそっとの力では開けられそうになかった。

 彼の隣で石柩をためつすがめつ調べていた井出は、魅入られたような表情で、

「すごい」

と、つぶやいた。

「こんな柩は見たことがないぞ。いや、世界中探したって類例は見つからんだろう。いったいなぜこんな物が……」

 彼は我を忘れると、考えていることを口に出してしまうクセがあるらしい。

 虎光は際限なく続きそうなその独り言を、適当なところでさえぎった。

「先生」

しなければならないことが山ほどある。

「明日、重機を呼んで、これを運ばせましょう。今日の作業はここまでということで」

「え?いや、しかし」

井出教授は驚き当惑した顔でスポンサーからの使いである虎光を振り返り、言った。

「一晩じゅうこんな場所に放っておくわけには」

「ご心配には及びません」

できる限り笑顔を絶やさずに。

「警備員を手配してあります。それまでは、僕が見ていますから」

 自分よりはるかに体格のいい青年から先回りしてそう言われ、井出は開きかけていた口をしぶしぶ閉じる。

「んむ……そ、そうか」

彼は今ひとつ納得のいかない顔で夜間照明器具を一瞥してから、助手の大村を呼んだ。

「お疲れさん、今日はここまででいい。作業員を解散させてくれ」



 蒸し暑い宵だった。

 九月だというのに、いっこうに涼しくなる気配がない。

 虎光は夏用スーツの上着を脱いで休憩所のパイプ椅子に引っかけると、だらしなくネクタイを緩めてシャツのボタンをはずしながら外に出た。

 夜間照明に浮かび上がる発掘現場は、急な雨や風で遺跡がくずれないよう、あちこちにブルーシートがかぶせてあり、一見すると何かの工事中にも見える。

 ひとけのなくなった現場は、むき出しの土の匂いばかりが鼻についた。

 警備員はまだ来ていないし、鷹彦は連日の屋外作業で疲れているだろうと先に宿へ帰した。

 ここにはもう、自分一人だ。

 彼はゆっくり歩き、一枚のブルーシートの前で立ち止まった。その下には、例の石柩がある。

 シャツの胸ポケットから携帯電話を取り出す。

「あー、もしもし。親父?虎光だけど」

彼はスラックスのポケットに手を突っ込み、送話口に話しかけた。

「見つかったぜ。そう。で、これどーすんの?……明日、実家に?結界つきアルミバンで?すげー。……あーはいはい、わかってますって」

見るともなく地面に目を落としながら言葉を続ける。焦げ茶色の、粘土質。

「それはそうと、あの先生はどーするよ?公表する気満々なんだけど?いや、今日はなんとかごまかしたけどさあ」

 と――

 そこで彼の声が途切れた。

 地面以外、何もなかったその視界に、いつの間にか人の足があった。

 見覚えのある、くたびれたトレッキングシューズ。

『どうかしたのか、虎光?』

 父親の声で我に返った彼は、

「わり、あとでまた連絡します」

と、早口で電話を切った。

 携帯を胸ポケットにしまいながら、視線をゆっくりとあげていく。

「いつここへ戻ってらしたんです?」

狼狽をできるだけ悟られないよう、彼は言った。

「……先生」

 トレッキングシューズの主は、井出教授その人だった。

「さっき、観光協会に電話をしてみた」

怒りを含んだ声。

「公表を遅らせろなどという依頼はしていないと言われたよ」

「そうですか」

 虎光は内心、ため息をつく。

「どういうことか、説明してくれ。いったい何のつもりだ。この遺跡をどうするつもりだ」

「遺跡についてはどうもしませんよ」

と、虎光。

「出土品もすべて、先生のお好きになさってください。マスコミに公表するもよし、学会で発表するもよし。ただ……」

彼は傍らのブルーシートに目を落とす。正確には、その下の石柩に。もう、開き直るしかない。

「この石棺だけは別ですが」

 一瞬の沈黙があった。

 井出は絶句したらしい。

「これは……この遺跡のかなめだぞ」

「知ってます」

「これが世に出れば、世界中の研究者から注目を浴びる」

「あなたはとても優秀な人です、井出先生」

虎光は笑顔を作った。表情の読みにくい一重まぶたで。

「こんな石棺などなくとも、素晴らしい論文を書けますよ。それで充分じゃありませんか?」

 風で、ブルーシートががさがさと音を立てた。

 汗ばむ肌を、生ぬるい、不快な風がなでていく。

「脅迫のつもりかね」

 教授の質問に、虎光はかぶりを振った。

「お願いしているんです。うちの会社が出資をやめれば、あなただって困るはずだ」

「自分のやろうとしていることの意味を、わかっているのかね」

 虎光はその質問には答えず、ただ黙って相手の顔を見た。

 あんたこそ、わかっているのかい。

 この柩の中に眠っているのが、何なのか。

 だが、その言葉が彼の口から出ることは、ついになかった。

 遺跡を囲っているガードフェンスの向こう側に、一台のワゴン車が止まるのを、彼は視界の端でとらえていた。

 白黒のツートンカラーに塗り分けられた、警備会社のワゴン。

「警備員が到着したようですね」

虎光は言った。

「すみませんが、僕はこれで失礼します。あ、それと、重機は明日の朝九時に入る予定です」

 それだけ言い残し、きびすを返す。

 その大きな背中を、こんな声が追いかけてきた。

「きみは、盗掘をしようとしているんだぞ!」

つぶてでも投げつけるように、井出は叫んだ。

「いいか、わたしは学者として、絶対にこんな行為を見逃したりはせんからな!!」

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