2023年8月1日火曜日

紅蓮の禁呪2話「破られたまどろみ・一」

  ことの発端は、夏休みのアルバイト探しだった。


 大学の長い夏休みを満喫するには、それなりの元手が必要である。

 だが、前期試験の結果がかんばしくなかった鷹彦たかひこは、文字通り追試に「追われた」ため、学生課などで紹介してくれるおいしいバイトには見事にあぶれてしまい、世間が夏休みに入ってしまってからも、自宅でアルバイト情報誌をめくってはため息をつく、という日々を送っていた。

 二人いる兄のうち、一人が彼にバイトの話を持ってきたのは、そんなときだった。


 兄たちは二人とも、すでに社会人になっており、父親が経営する会社にそれぞれ仕事を持っている。

 一番上の兄、竜介りゅうすけは、仕事なのか何なのか、たいてい家におらず、彼に声をかけてきたのは、二番目の兄、虎光とらみつだった。

「うちの会社が出資してる文化研究所が近畿地方で今、遺跡の発掘調査やってるのは知ってるよな?」

と、次兄は言った。

「俺、企業側のオブザーバーで、明日から現場入りするんだけど、おまえ一緒に来ねえ?」

 鷹彦の目には、そう言ってくれる兄の背後に後光がさして見えたものだ。

 てっきり、兄と同じオブザーバーか、さもなくば彼の助手のような仕事をするものと思ったからである。

 が、しかし。

 現実は甘くない。

 少なくとも彼は、仕事の中身をもっとよく聞いてからOKをするべきだった。

 なぜなら、虎光は現場に「来るか?」と尋ねただけで、「一緒にオブザーバーをやるか?」とは、ひとことも言っていなかったのだから。

 現場に着くや否や、軍手にタオル、つばの広い麦わら帽子、スコップ、それに刷毛はけを手渡された鷹彦は、その場に凍りついた――摂氏三十五度を超す気温にもかかわらず。

「いやあ、ちょうど人手が足りなくて、困ってたんだよ」

 調査隊を指揮している研究所の所長は、井出いでと名乗り、にこにこと笑いながら、そう言って彼にとどめをさした。

 鷹彦が誤解を解こうとするいとまもなく、井出は彼を大村おおむらという若い助手に紹介した。

「新しいバイトだ。作業のこと、いろいろ教えてやってくれ」

 鷹彦は助けを求めて兄のほうを見たが、無駄だった。

 虎光はにっこり笑うと、ぽん、と弟の肩をたたき、言った。

「じゃ、がんばってな」



 その夜、宿泊先の旅館で、鷹彦が兄にくってかかったのは、言うまでもない。

「詐欺だっ!!」

彼は廊下に筒抜けになるのもかまわず、大声で叫んだ。

「俺は明日、家に帰るからなっ。日には焼けるし、日当は安いし、やってられるかっ!」

「まあそう言うなって」

虎光は、弟の怒りをあまり深刻にとらえていないらしく、旅館の豪華な夕食を肴さかなに、上機嫌で一杯やっている。

「その代わり、宿泊先は俺と同じにしてやったろ。ほかの連中はみんな研究所の予算で、民宿泊まりだってのによ」

 鷹彦は、フン、と鼻を鳴らした。

「可愛い弟をペテンにかけやがって、それくらい当然だろっ。第一、何で俺が現場なんだよ?図体から見りゃ、虎兄のほうがどうしたっておあつらえ向きじゃんか」

 虎光の身長は二メートル近く、鷹彦より頭一つ分ばかり高い。

 しかも体格が良いので、黒服にサングラスをかければ会社員というよりは要人警護のボディガードか、その筋の人にしか見えない。

「鷹彦、お前」

 不意に、虎光が真顔になった。

 しまった。言い過ぎて、怒らせたかな?

 鷹彦がそう思いかけた、そのとき。

「さっきから料理にぜんぜん箸つけてねーけど、いらないんなら俺が全部食っていいか?」

 鷹彦は、一瞬でも反省しかけた自分を殴りつけたくなった。

「食うに決まってんだろっ!あんなガテンな仕事させられて、虎兄とらにいの分までもらったっていいくらいだぜ」

 そう言うや、彼は箸をとり、猛然と料理を口に運び始めた。

 その食べ方は、おせじにも料理を味わっているとは言い難いような早食いだったけれど。


「実は、お前にちょっと訊きたいことがあるんだ」

 食事をあらかた終えた頃、虎光があらたまった口調で言った。

「あの場所にいて、お前、何か感じなかったか?」

「あぁん?」

 周りに他人がいない気安さからか、行儀悪くつまようじで歯をせせっていた鷹彦は、面倒くさそうに返事をする。

「何かって、何?」

「首の後ろ。チリチリしなかったか」

 その言葉に、鷹彦の表情が変わる。

 歯をせせるのをやめ、彼は首筋に手をやった。

「そういえば……」

 現場にいたとき、ずっと髪の生え際がひりひりしていた。

 日に焼けたせいだと思っていたが――今は、あの不快な感覚が、きれいに消えている。

「虎兄。あの遺跡って、まさか……」

 虎光はニヤリと笑った。

「たぶん、そのまさかさ」

「何だよ。バイトなんて回りくどいこと言わずに、判定させたかったんならそう言やいいのに」

「先入観はないほうがいいだろ?それに、人手が足りなかったのは事実だし」

 飲むか?と虎光は弟にも杯を勧めてやり、続けた。

「俺は魂縒たまよりを受けてないから、判定できねーしな。まあでも、こりゃ間違いなさそうだ」

「竜兄りゅうにいに連絡しなきゃ」

「だな」

虎光はうなずいた。

「五百年間、ご先祖様が探しに探してきた代物が、ようやく見つかったってんだから」

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