2025年4月8日火曜日

紅蓮の禁呪158話「禁術始動・五」

 


 碧珠が収められていた紺野家の滝裏の洞窟も、白珠が隠されていた白鷺家の四阿(あずまや)の仕掛けも、同様に消えてなくなった。

 黄珠がどこに安置されていたのかはわからないが、その場所も今はなくなっているだろう。

 竜介たちと黒帝宮へ赴いたはずの朋徳は、黄根家からの連絡によると、十二月の冬至一週間前から心臓疾患で入院、冬至の深夜に容態が急変し、翌未明、そのまま帰らぬ人となった、とのことだった。


 では、禁術を起動する直前、紅子に助言をあの老人は誰だったのか――


 答えは、どちらも同じ黄根朋徳で間違ってはいない。

 御珠が消え、力がなくなり、新月の日がずれたのと同様、禁術によって「歴史が書き換えられた」――あるいは、「最初の禁術失敗でねじれた歴史が正された」――ために起きた、御珠に関わった人間の記憶にのみ残ってしまった「ねじれの残滓」なのだった。


 * * *


 学校は予定通り四月から始まったものの、避難先から戻れない生徒は多いようで、教室には空席が目立った。

 戻ってこれないのは教師も同様らしく、紅子は自分のクラス担任とゴールデンウィークに入ろうかという今に至るまで、顔を合わせたことがない。

 隣のクラス担任が紅子のクラスも兼任しているようなものだ。生徒が少ないからそれでも回せているのだろう。

 授業もプリント自習が多いが、これは昨年秋からのブランクがある紅子にとってはこれ以上ない福音だった。

 春香とは東京から転送されてきた彼女の年賀状に書かれていた住所とメールアドレスから連絡が取れるようになったため、学校が始まる前に少しでも追いついておこうと、欠席分のノートのコピーを送ってもらってはいた。

 それでも家での自主学習はやる気が今ひとつで思うようにはかどらなかったのが、学校では自習の合間に直接友人たちから教えてもらえるおかげか、格段に進捗が早く、おまけに楽しい。

 次の定期考査での欠点はひとまず免れそうで、紅子は胸を撫で下ろしていた。

 やはり持つべきものは友である。


 ところで、春香といえば藤臣だが、彼らがその後どうなったかというと、この春、晴れていわゆる「交際」をスタートさせたらしい。

 が、「彼氏」の進学先が地方の大学だったせいで、それは思いがけない遠距離恋愛のスタートでもあった。

 実は紅子と竜介の二人も、竜介が仕事で頻繁に日本と海外を行ったり来たりしていて、直接会うには予定がなかなか噛み合わないという、似たような状況にあった。

 メールはしょっちゅうやりとりしているし、時間の合うときは電話もかけてきてくれるから、気を遣ってくれているのはわかっている。

 仕事だから仕方ないとは思うが、やはり少し寂しい。

 そんな中、遠距離恋愛仲間を得たことは、紅子と春香互いにとって不幸中の幸いだった。

 今や、彼女らは互いの彼氏とよりも頻繁にメールのやり取りをしているくらいである。

 そんなこんなで、ゴールデンウィークも一緒に遊びに行く計画を立てていたのだが――


「えーっ、行けなくなったって、どういうこと!?」


 ゴールデンウィーク初日の朝。

 自宅兼道場の電話が鳴ったので出てみると、春香だった。

 休日の朝の電話にろくなものはないのが世の常だが、今回も例外ではなく、本日一緒に買い物に行く約束をしていたのに、急用で行けなくなった、という連絡だった。

 電話の向こうの春香は詫びの言葉を繰り返すものの、その声はまったく残念そうではなく、むしろなんとなく華やいでいる。

 それで紅子もピンと来た。


「さては藤臣先輩からなんか連絡来たね?」


『えへっ、わかる?』

 春香は悪びれもせず言った。

『昨日の深夜にメール来ててさ、ゴールデンウィークのあいだ家の用事でこっちに来るんだって。で、空いてるのが今日だけだっていうから~……ほんとゴメンよ?埋め合わせはするからさ』

「わかったわかった」

 あまりにもあっけらかんとしている春香に紅子もそれ以上怒る気が失せてしまい、次の約束はまたメールで、と言い合うと、受話器を置いた。


「女の友情なんてもろいもんよね……」


 へっ、とひねくれた笑いとともにそう独りごちると、そばでお茶を飲んでいた玄蔵が吹き出した。


「何、父さん。あたし何か変なこと言った?」


 憮然とした表情で紅子が問いただすと、彼は笑いを引っ込めて、

「いや、別に」

「あっそ」

 紅子はそっけなく答えると、上着を着て出かける準備を始めた。

「あれ?出かけるのか?春香ちゃんは一緒じゃないんだろ?」

「一人でも行くの」

 紅子は慌ただしく玄関に向かいながら、肩越しに振り返って言った。

「今日からバーゲンなんだもん、初日に行かないと狙ってたのが売れちゃうでしょ」


 道場の玄関の引き戸が閉まる音がして、家内に沈黙が戻る。

 それからしばらくして、再び一色家の電話が鳴った。

 玄蔵が受話器を取ると、よく聞き慣れた声だ。

「ああ、君か。元気そうだな。いや、紅子なら今出かけたよ……」



 買い物は、朝に気分を損ねたことなど忘れるくらい、なかなかの収穫だった。

 やっぱり来てよかった、と大きなショッパーバッグを抱えながら、紅子はほくほく顔でアウトレットモールの外に出た。

 海沿いに建つこの施設は、海が見渡せる公園に隣接していて、祝日の今日はワンハンドフードの屋台やキッチンカーが遊歩道沿いに軒を連ね、美味しそうな匂いで道行く人々の鼻腔をくすぐっている。

 腕時計を見ると、午後三時。

 昼食はモール内のファストフード店で取ったが、おやつは外で買い食いすることに決め、紅子は屋台を見て回ることにした。

 公園内もそれなりに賑わっているが、まっすぐ歩くことすら難しいモールの中に比べたら、ゆったりしたものだ。

 遊歩道の途中にある広場では、サルっぽい顔立ちの小柄な青年が大道芸を披露していた。

 ひょうきんな言動と身軽なアクロバットが観衆を大いに沸かせている。

 広場には他にも子供向けのイベントブースがあり、海の側だからウミウシを模しているらしい着ぐるみが小さい子どもたちに風船を配っていたが、それがお世辞にもかわいいとは言い難くて、風船欲しさに近寄ってくる子どもたちの中には、怖くて泣き出したり、風船をもらった途端に逃げ出す子どももいたりして、周囲の大人たちを苦笑させていた。

 紅子はというと、青年や着ぐるみに奇妙な既視感を覚えることに、内心で首を傾げた。


 テレビのニュースか何かで見たのかな?


 そんなことを思いながら適当に選んだ屋台でクレープを注文し、出来上がりを待っていると、にわかに周囲が賑やかになった。


「……ということで~、本日は人が多くてとってもにぎやかなモールに来ていますぅ~!外にもスイーツのお店がたくさん並んでますね~!どれもとても美味しそうですよね~、ちょっとここで食べてる人にもお話うかがってみたいと思いますぅ~」


 テレビのレポーターらしい華やかなスーツ姿の女性が、マイク片手にそんなことを喋りながら、テレビ局の腕章をつけたカメラクルーを引き連れてこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。


 妙に粘っこい喋り方に、またもや既視感。


 だが、店員から注文していたクレープを渡されて、紅子の注意がそちらへ向いた、そのとき。


「こんにちわああ、すっごいいちごたっぷりなクレープですねえ~!!」


 突然すぐそばで声がして、紅子は一瞬、クレープを取り落としそうになった。

 見ると、さっき遠目に見たテレビレポーターがいて、こちらに向かって笑顔を放射している。


 もったりした肉感的な唇に、また何度目かの既視感。


 だが相手はそんな紅子の内心にはお構いなしに、

「ここのクレープはお気に入りなんですかぁ?」

 などと尋ねてくる。

 紅子はいきなりのことにたじたじとなりながら、

「えっ?はい、いえ、別にそういうわけでは」

「いちご、お好きなんですねぇ~」

「あ、はい、いちごは大好きですけども」

「そのクレープ、他に何が入ってるんですかぁ?ちょっと食べてみてくれますぅ?」

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