2023年12月6日水曜日

紅蓮の禁呪139話「凍える世界で・六」

 



 脳裏に、紺野家の裏山で龍垓と対峙したときの恐怖が蘇り、竜介は黙り込んだ。
 身体の芯から震えがくるような、恐るべき冷気と力の気配。

 あれが、自分と同じ顕化を持つ者――?

 同じ雷槌(いかづち)を使ってはいるが、戦っているとき、力の方向性が自分のそれとは真逆だと思った。
 この世の全てを闇に葬ろうとするかのような、圧倒的な狂気と憎悪。

「同じ顕化の者でも、お前より何千年も前から生きている、文字通り百戦錬磨の猛者だ」

 朋徳が竜介に向かって言った。

「万に一つも勝ち目はない――今のままでは、な」

 そんなことは言われなくてもわかっている。
 妙な含みのある朋徳の言葉に、竜介が反論しようとしたとき、

「何か策があるなら教えてくれ」

 泰蔵が言った。

「勿体をつけるのは、昔からあんたの悪い癖だぞ」

 朋徳は唇の片端で笑みを作ると、

「彼女の記憶だ」

 と、日可理に視線を投げた。

「わたくしが記憶している龍垓と迦陵の力と技のすべてを、わたくしは竜介さまと泰蔵さまにお渡しする用意がございます」

 竜介と泰蔵は顔を見合わせた。

 黒珠側最強の者たちの、いわば手札すべてが手に入る。

 願ってもないことだ。
 封滅術の完了までどれくらいの時間がかかるかはわからないが、それがあればきっと五分の戦いに持ち込むことはできるだろう。
 二人が是非にと答えると、日可理は立ち上がって移動し、彼らの前に正座した。

「どちらからになさいますか」

 と、彼女が尋ねるので、

「俺から頼む」

 竜介が答えた。

 日可理は頷き、彼に向き直った。

「失礼いたします」

 緊張した様子の竜介の顔に、右手をかざす。
 と、白く輝く法円が現れ、不思議な金属音を立てて回転したかと思うと、次の瞬間、消滅した。

 彼女は泰蔵にも同じ動作を繰り返し、記憶の受け渡しはあっけなく終わった。

 竜介にとっては紅子の意識界で彼女と記憶を共有したときほどの没入感はなく、体験としては何ということもない。

 しかし、龍垓や迦陵の記憶とともに、一族の歴史を――特に黒珠が封滅されて以降の歴史を――黒珠の視点から見ることは、少なからぬ衝撃だった。

 彼の知る限り、白鷺家と紺野家には黒珠封滅後の一族の歴史を記した文書が残されており、竜介たち兄弟は実際に読んだことこそないものの、その中身については大雑把ながら泰蔵から聞かされている。

 文書の始まりは今から二千年ほど前で、最後の記事は約五百年前。

 泰蔵は常々その文書について、ところどころ記事に飛びがあり、辻褄や時系列が合わない、と訝しんでいた。

 ざっと千五百年に渡る記録に抜けや齟齬があるのは、長い時を経てきたせいもあるだろうが、勝者側の理屈で書かれたためという理由もあるようだ。

 記録によれば、黒珠の封印は二度破られ、いずれのときも大災厄をもたらしたそうだが、それは黒珠にとっても同様で、封滅の術に抗うたび、彼らの勢力は削がれていった――

 無限に繰り返される屈辱と、終わらない絶望の中で。


「師匠、大丈夫ですか?」

 鷹彦の声で竜介が我に返ると、術による精神的衝撃からか、畳に片手をついてふらつく上体を支え、もう片方の手で額を押さえている泰蔵がいた。

「大丈夫だ」

 泰蔵は苦笑してそう言うと、夢から覚めたような顔で目を瞬いた。

 龍垓と迦陵の持つ異能、身体能力、彼らの記憶を始めとする内面世界の全て、そして黒珠の力の限界――

 黒珠の歴史とともに、それらすべてが彼の中にあった。

「なるほど……これならあの迦陵とも互角に闘えそうだな」

 やれやれと姿勢を整えると、自分の中の新しい記憶を反芻するように何度もうなずきながら、ひとりごちる。

 それから彼は竜介と目を合わせ、ゆっくりうなずいてみせた。
 同じものを見て、同じことを感じたと知らせるために。

「白鷺家のお二人さんを伺候者に入れるという黄根さんの考えも、今更ながら腑に落ちたよ」

 泰蔵が朋徳を見て言った。

 互いの手の内を知り尽くしたもの同士で戦うなら、力の差で勝敗は見えている。
 が、今の竜介と泰蔵ならば、龍垓と迦陵が彼ら二人について知っていることは、異能だけ。

 圧倒的に有利なはずだ。

 それから彼は日可理に視線を移し、

「もっとも、嬢ちゃんにとっては、恨み重なる相手に自分の手で復讐したいところだろうがな」

 日可理は静かに視線を下げる。

「力及ばずと言われても、刺し違える覚悟でした」

 そう言うと、彼女は袂から二枚の短冊を取り出した。

「自分で使うために作ったものですが、泰蔵さま、よろしければお使いいただけますか?」

「これは?」

 泰蔵がみずみずしい墨跡と日可理の顔とを見比べながら尋ねる。

「わたくしの新しい式鬼、雪華(せっか)と氷華(ひょうか)です。必ずお役に立てるかと」

 複雑な文様が描かれているそれらを見た瞬間、紺野家の面々の脳裏をよぎったのは、結界石に貼られていたあの忌々しい呪符だった。

 鷹彦が何か言いたげに口を開きかけるのを、しかし泰蔵は目顔で制した。

 同じ墨跡でも、その短冊がまとう雰囲気には神聖なものが感じられたからだ。

「ありがとう。もらっておこう」

 泰蔵はにこやかにそう応じて短冊を受け取ると、大事そうに懐中にしまった。

 泰蔵と日可理のやり取りが一段落すると、朋徳が口を開いた。

「奴らは我々の行動を読んでいると考えねばなるまい」

 彼にしては珍しく歯切れの悪い発言だった。
 この老人の恐るべき千里眼をもってしても、黒珠の者たちの動向を知ることは難しいのだ。

 龍垓たちの記憶を知る限り、日可理は彼らにとって完全に捨て駒だった。

 記憶を共有してしまった以上、最期は確実な方法で彼女の命を奪おうと考えていたのが、案に相違して、中途半端に生かしたまま置き去りにしてしまった。

 これは痛恨のミスだ。

 彼らは、自分たちの記憶全てが、己の敵に渡ってしまっただろうことを見越して、封滅術が妨害されたときのための策略を巡らせているだろう。

「小僧」

 朋徳が竜介に向かって言った。

「お前は龍垓の記憶に、雷迎(らいごう)という術があるのを見ただろう」

「え?はい」

 竜介はいきなり尋ねられて、当惑しながら答えた。

「天地の気を操って俺たちの先祖に甚大な被害をもたらした、龍垓だけが使う究極の秘術、ですよね?」

 正直なところ、竜介はこの術に太刀打ちできる気がまったくせず、良策があれば朋徳に尋ねたいと思っていたところだった。

「龍垓だけ、ではない。あれは顕化を持つ者ならば使うことができる」

 朋徳老人は言った。

「つまり、お前も使えるということだ」






※筆者注:挿絵は氷華と雪華のイメージイラストです

※筆者注:挿絵を黄根老人のイメージ画像に差し替えました。(12月13日)

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