2023年11月10日金曜日

紅蓮の禁呪138話「凍える世界で・五」

 


 残る問題は、重力を無視している上に分厚い氷に覆われた場所までどうやって行くのか、ということと、紅子をどうやって助け出すのか、ということの二点となったわけだが、一つ目の問題はあっさりと解決した。

「わたしの異能を使えばよかろう」

 朋徳がそう申し出たからだ。
「ただ、わたしの瞬間移動も万能ではない。黒帝宮の真下からならば何とかなるがな」

「それなら、うちの本社ビルがちょうどいい場所にありますよ」

 竜介が提案した。
 紅子が東京から白鷺家への移動のときにも使った、わだつみホールディングス本社ビルのことだ。
 まさに新宿にあり、ヘリポートを使えば、わずかだがさらに距離が短くなる。
「充分だ」
 朋徳が満足気にうなずく。
 あとは救出方法だけだが、難攻と思われた城まで行く方法が提示された今、すぐにでも紅子のところへ駆けつけたいと浮足立つ紺野家の面々を制し、彼は言った。

「行くのは冬至の夜だ。やつらが儀式を立ち上げる直前を狙う」

「それが賢明と存じます」
 同意したのは日可理である。

「紅子さまの周囲には今、厳重に結界がめぐらされております。たとえ黄根さまの異能をもってしても、近づくことさえできないでしょう」

 紅子さまが黒珠の結界から出されるのは、儀式のとき。
 龍垓と迦陵はわたくしたちの動きを読んで、儀式に張り付きます。
 黒珠の力はすべて儀式に使われ、わたくしたちの侵入を阻むための結界をめぐらせる余力はありません。

 玄蔵が尋ねた。

「『影』たちの存在は無視して大丈夫なのかね」

 さきほど日可理が、「影」は実体と幻の中間のようなものだと言ったことが気になったらしい。

「彼らが実体になれるのは、黒珠に余力があるときだけです」

 と、日可理は答えた。
「儀式にその力が集中しているときは、彼らはわたくしたちに何の影響も及ぼすことはないでしょう」
「じゃあ、俺たちは実体があるやつらだけ相手にすればいい、ってことか」
 鷹彦が早くも楽天的な意見を口にする一方、泰蔵が慎重に問いただす。

「伺候者たちの異能は?」

 日可理は頭を振る。
「彼らは飽くまで儀式の補佐をする『器』として実体を与えられただけですので、異能は持っていません。制圧は容易です」
 すると、鷹彦が上機嫌で言った。
「いよいよ楽勝じゃん」
 しかし、そのとき、朋徳が厳しい口調で言った。

「お前は勘違いをしているぞ。我々の目的は、やつらが我々に仕掛けようとしている儀式を乗っ取ることだ」

 紅子さえ助け出せたらそこで終わり、というわけではないし、龍垓と迦陵との戦闘で人数が欠けることも絶対に避けねばならない。
 なぜなら、伺候者となる四人が足りなくては、元も子もなくなるからだ。
「我々七人のうち、伺候者となる四人はそれぞれ黒珠の伺候者を排除し、そのまま儀式を立ち上げる」
 朋徳が続ける。
「したがって、龍垓と迦陵の相手をするのは三人だ」

「三人だけ……」

 鷹彦の表情が神妙になった。
「儀式が終わるまで攻撃を防ぎきればいいんだ」
 泰蔵はとりなすようにそう言ったものの、内心では己の経験と照らし合わせて、それが言うほどには容易くないだろうとも思っていた。
 そして、それはあの怪物たちと対峙したことのある者全員の共通認識でもあった。

 では、伺候者なら、あの怪物たちと対峙するよりも生き残る確率が高いのかといえば、そうでもない。

 儀式の最中に術圧が大きすぎて命を落とす者たちがいたことを、彼らは魂縒の儀式のとき御珠の記憶として受け継いでいる。
 誰が伺候者となり、誰が龍垓たちの相手をするか。
 沈黙が降りたとき、それを破ったのは朋徳の声だった。

「わたしは伺候者に入る」

 彼は言った。
「紅子に最後の魂縒を受けさせねばならん。黄珠はわたしでなければ召喚できないからな」
 すると、日可理も決然とした表情で口を開いた。

「わ、わたくしは、迦陵と戦います」

「日可理……」
 驚いた顔で何か言おうとする弟を、彼女は制した。
「わかって、志乃武さん。わたくしは決着をつけなければならないの」

「良い心意気だ、と言いたいところだが、それはだめだ」

 朋徳が日可理をさえぎる。
「白鷺家の二人は、どちらも伺候者に入ってもらう。迦陵の相手をするのは、泰蔵さんだ」
 言いながら、彼は泰蔵を見た。
 泰蔵も彼を見返し、二人は無言でうなずき合う。
 伺候者はあと一人。
 竜介は手を挙げた。

「俺も、伺候者に入ります」

 紅子を意識界から連れ戻すときに決めたことだった。
 ところが、朋徳はすげなく首を振った。

「四人目の伺候者は、玄蔵くんに頼む」

「はい」
 玄蔵がうなずく。
 すると、

「え、んじゃ俺っちと竜兄とであの龍垓の相手をす、るんですか」

 玄蔵の隣に座る鷹彦が、慣れない敬語に噛みながら声を上げた。
「坊主、お前さんは壁を作れるんだったな」
 さして親しくもない老人から、いきなり坊主呼ばわりされてむっとしながら、鷹彦はあいまいにうなずいた。
「ええ、まあ」
「お前さんは儀式に邪魔が入らないよう、我々伺候者と神女の周りに壁を作れ」
 相手の不躾な命令口調に、やや不服そうだったものの、それでも鷹彦は、
「……わかりましたぁ」
 と、答えた。

「あの、俺は……」

 朋徳の決定にどうしても納得がいかない竜介が、異論を唱えようと口を開きかけた、そのとき。
 日可理が彼を制した。
「竜介さま」
 彼女は静かに言った。
 龍垓の相手は、あなたにしかできません。

「彼はあなたと同じ、顕化を持つ者なのです」

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