日可理にとって、この日の会合は若干の緊張を伴うものだった。
何しろ、自分の失態によって多大な心労を被った人々が列席しているのである。
彼女自身も一応は被害者なのだから、面罵されるようなことはないとしても、冷ややかな視線を向けられるくらいのことはあるだろう――そう覚悟して臨んだ席だった。
けれど、思いのほかとげとげしい雰囲気はなく、彼女は内心、少し安堵した。
「式鬼を具現化するときと同じ方法で皆様にもご覧いただけるように、わたくしの記憶から再現してみました。実際の大きさはこの十万倍になります」
彼女は目の前に浮かぶ一メートル四方ほどの大きさの、荘厳な――しかし荒れ果てた宮城を目で示し、言った。
「記憶だけでこれほど細密に再現できる理由については、申し上げにくいことですが、それはわたくしが黒珠に――一瞬ではありますが、黒珠の王にも――憑依されたからです」
黒珠に憑依されるということは、彼らと精神的に繋がり、記憶や考えを双方向で共有することを意味する。
特に黒珠の王・龍垓から得られた記憶と知識は膨大で、おかげでこうして彼らの城を再現できたのだが、情報の共有が双方向ということは、黒珠の者たちも、日可理の記憶や知識を得たということでもある。
そこまで聞いて、鷹彦が腹立たしげに声を上げた。
「それって俺らの持ち札が全部やつらには筒抜けってこと?まじかよ」
すると朋徳が、
「黒珠の情報も、彼女によって共有されている。一方的に我々が不利になることはない」
と、静かに抗弁した。
「それに、本日はすでに起きてしまったことをあれこれ詮議するために集まったわけではない。先を続けてくれ」
泰蔵と玄蔵、竜介の三人は黙ってうなずき、同意を示す。
沈黙する鷹彦に目礼して、日可理は話を再開した。
「黒帝宮は現在、東京上空、ちょうど新宿副都心の真上にある低層雲の中にあり、地上からはおよそ一キロメートルの高さにあります。
城はさらに厚さ二メートルほどの氷の殻に覆われていて、外側からは浮遊する巨大な氷の球にしか見えません」
彼女はそう言うと、幻の城に手をかざす。
うす青い氷の殻が、城を丸く包んだ。
「この氷の殻は、城を包む特殊な力場の吸熱反応によって形成されたものです。現在、東京上空に居座り、黒帝宮を覆い隠している雪雲も、この力場の影響でしょう。
東京中心部の地上の気温は、今はまだ零度を下回ってはいませんが、今後もっと下がるはずです。最低でマイナス五十度前後にはなるでしょう」
東京は雪に埋まり、人はほぼ住めなくなる、という黄根の言葉が裏付けられた形で、誰も驚きを表さなかった。
だが、続く日可理の言葉に、黄根と白鷺家の二人を除く四人は衝撃を受けることとなる。
「それと、この寒気は同心円状に東京郊外にも広がりつつあります。弟が気象庁から取り寄せたデータで速度を計算してくれましたが、時速五キロメートル前後で広がっているそうです」
遅い自転車程度の速度ではあるが、放っておけば一週間余りで日本は北海道から九州まで、黒珠の力場が起こす寒波にすっぽりと覆われてしまう速さである。
「単純計算でも、半年経たずに地球全体が氷に覆われ、氷河期が訪れることになるのです」
「全球凍結か?」
黄根が尋ねると、志乃武がうなずいた。
「ありうると思います」
すると鷹彦が手を挙げて、
「ごめん、俺わからない。全球凍結って何?」
「文字通り、地球全体が雪と氷に覆われることだよ」
竜介が答えると、鷹彦は、ええっ、と驚きの声を上げる。
「そんなことある?熱帯地方まで凍るってこと?」
泰蔵がうなずいて言った。
「たとえ赤道周辺が凍らず、全球凍結を免れたとしても、陸地の大半は雪と氷に閉ざされるだろうな」
急激な気候変動で作物は育たなくなり、食糧危機が訪れる。
大気中の水蒸気は大半が雪と氷に変わるため、液体として飲める水も圧倒的に不足するだろう。
寒さと雪でインフラは崩壊し、燃料は奪い合いになり、都市はスラム化する。
生き残れる人類は、よくて現在の三分の一――いや、もっと少ないかもしれない。
「頭のいい連中だな」
半ば感心したように、玄蔵が言った。
「封滅の儀式が失敗したとしても、我々はどのみち寒さで全滅というわけだ」
「じゃあ、無理に封滅の儀式をやんなくてもよさそうなもんだけどな」
鷹彦が独り言のようにつぶやくと、竜介が言った。
「やつらはそうしてまで俺たちに復讐したいんだろうよ」
彼らの会話が一段落すると、日可理は話を再開した。
「次に、城内に棲むモノたちについてお話しいたします」
黒帝宮に棲む黒珠の者たちは、王である龍垓と部下の迦陵を除き、今やほぼすべてが「影」と呼ばれる、実体と幻の中間のような存在の者たちです。
紅子さまが以前、「黒珠は人を食べる」とおっしゃっていた通り、黒珠の者たちは実体を得るために我々人間の血肉を必要とし、とくに知性を得るには人の脳髄を食べる必要があります。
龍垓のように実体のある者も、黒珠の者は皆、一般的な物理攻撃で死ぬことはなく、炎珠の神女の炎に焼かれた者も、「影」に戻るだけで完全にこの世から去ることはありません。
「ごめん、ちょっと待って」
鷹彦が片手を挙げて日可理の言葉をさえぎった。
「その話だと、神女の炎に焼かれて『影』になっても、人間を食えばまた元通り実体を得られる、ってことになるけど、それで合ってる?」
日可理はうなずく。
「はい、おっしゃる通りです」
いつ終わるとも知れない寒波で人間社会がひとたび崩壊すれば、世界中が黒珠の者たちにとっては絶好の「狩り場」となる。
抗う者のいない世界で人を狩り、その血肉ですべての「影」たちに実体を与える。
黒珠の帝国を、自分たちだけの永遠の楽園を、地上に築く――
「それが黒珠の者たちの最終目的なのです」
驚愕で黙り込む一同を前に、日可理の話はまだ続く。
「黒帝宮では目下、封滅の儀式を補佐する伺候者たちを、『影』から実体に戻そうとしているところです。わたくしが最後に見たときには、実体化が八割ほど進んだところでしたから、今はもう完成しているかもしれません」
「そんな!」
竜介は衝動的に立ち上がった。
「それじゃ、ここで悠長に話なんかしてる場合じゃない!やつら、儀式を始めちまう」
日可理は静かに頭を振った。
「落ち着いてください。まだ大丈夫です」
儀式の成功には伺候者たちの力が必要です。
伺候者たちは皆黒珠の者ですから、彼らは黒珠の力が最大化する時を狙って封滅の儀式を行うつもりです。
黒珠の力が最大化するのは、夜の闇が最も深くなる、新月。
黄根が言った。
「今度の新月は、冬至だ」
夜の闇が最も深くなる新月と、その闇が最も長く続く冬至。
これら二つが奇しくも重なる日に、封滅の儀式は行われる、日可理はそう宣言した。
あと一週間あまりで、その日はやってくる。
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