2024年12月31日火曜日

紫のあとがき


毎度拙ブログをご覧いただきありがとうございます。

あとがき、などとタイトルにはありますが、有り体にいえば初めてミステリーを書いてみた感想でございます。

『紫の研究』のタイトルは、言わずと知れたコナン・ドイル大先生の超絶ウルトラ有名なシャーロック・ホームズシリーズ『緋色の研究』にちなんでおります。

ただし、中身については、前後編で10分くらいで読み終えることができ、年末に読んでなるべくモヤッとしない、犯罪とまでは言えないような小さな事件にしたいなぁと思ったので、北村薫先生の「円紫さんとわたし」シリーズのようなものをずっと念頭においていました。

ご存じない方は『空飛ぶ馬』とか超おすすめです。

あと参考にさせていただいたのは、いわゆる「アホバカミステリー」と呼ばれている(らしい)蘇部健一先生の『六枚のとんかつ』。

これもおすすめ。物語のテンポとかオチの付け方とか、とても参考になりました。

なにしろ短編なので、登場人物は最小限、人間関係もなるべくシンプルにしたい。でもミステリーなので話に意外性もほしい。

それで私の頭に一番最初に浮かんだのが、冒頭の一文、

「仮装パーティーにメイドの衣装で参加したら、本物のメイドに間違えられた」

でした。

「え、そんなことある?」

私もそう思います笑

てゆーか、ないだろ現実にそんなこと。それならどうしたらありうるのか?と思ったのがきっかけ。

アイデアは出てくるけど、それを全部入れてたら短編にはなりません。

そこで紙にキャラ設定と相関図、話の展開について思いついたことを片っ端から書いていき、いらない部分はバッサリ削ぎ落とすということを繰り返しました。

ちょっとボンヤリして流されやすい主人公のキャラは変わらずでしたが、雅緋と紫音はほぼ真逆といっていいほどキャラが変わりました。

雅緋は最初の設定では宝石商で働くチャラい彼氏がいる羽振りの良いキラキラ系女子で、紫音にいたってはごく普通の美女でした。

それが、雅緋は妹の進学費用を稼ぐために会社勤めだけでなく週末バイトまでする健気なお姉さん、紫音は紫ドレスのマッチョ。

雅緋は話を書いていくうち余計なキャラを出さないようにしたら自然とそうなりました。

紫音は、最初の登場シーンが、普通に女性だとあまりインパクトなさすぎたので…

形部係長(紫音の兄)出す必要なかったんじゃね?とも思いましたが、紫音がどうやってパーティーチケットを入手したのかと考えたとき、兄が会社で(おそらく雅緋から)もらったチケットを使ったとするのが妥当かな~と思うので、出演は妥当だったのだと思っています。

これは本編のどこかにちらっと書いておけばよかったな。反省。

CBDについては、最近法律が変わったというニュースが報道されたりしたので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

海外ではすでに医薬品として認められた製品もあるようなので、日本でも今後、輸入が増えたり、研究が進んで国内で精製された製品が出回ることを見越しての法律改正なのかなと思ったりしました。

さて、紫音が雅緋から買った小箱は、果たして適法なCBD製品だったのか、それとももっとグレー、あるいはアウトな製品だったのでしょうか。

そして、彼の「クライアント」はいったい誰だったのか。

すべての謎を解いてしまうと面白くないので、読者の皆様に自分で考えていただくために残しておきました。

どうぞご自分なりの答え探しを楽しんでみてくださいね。

では、どうぞよいお年を!

2024年12月30日月曜日

紫の研究(後編)

 


 なんだか妙な展開になってきたぞ。


 ホテルの廊下を歩きながら、私は思った。

 私の前には、パーティー会場で声をかけてきた黒服と、形部兄弟の背中が並んでいる。

 分厚い絨毯が全員の足音を吸い込んでしまう。

 パーティー会場とは対象的な静かさだ。

 先頭を歩いていた黒服は、「第一会議室」という札がかかった観音開きの大きな扉の前で立ち止まると、ノックした。

 中から扉が開くと、黒服は私たち三人を先に通してから、扉を閉じる。


「パープル・ヘイズ、ある?」


 私も何度かパーティー会場でそう訊かれた。

 私はもちろんわからない。だから他のスタッフに繋ごうとすると、タイミングよく宝石商の黒服の一人が現れて、客たちを連れて行く。

 そんなわけで、私はてっきり宝飾品のブランド名か何かだと思っていた。

 ところが、私たちが連れて行かれた部屋には、宝飾品のたぐいはまったく見当たらなかった。

 部屋の片側には、壁に沿って簡素な長机が置かれ、電気湯沸かしポットが数台と、未使用らしく伏せて置かれているティーカップとソーサーが数セット。

 さらにその奥には、いろいろな大きさの化粧箱と、サンプルと書かれた小瓶が並んでいる。

 落ち着いた紫色の化粧箱の天面には、

 「Purple Haze」

 という金文字が並んでいて、パーティー会場の半分くらいの広さのこの部屋では、それだけが唯一華やかな雰囲気をまとっていた。

 長机の反対側は、通路を挟んで小さな丸テーブルが十五個ばかりと、それぞれにソファが二脚ずつ、やや詰め込み気味な距離感で並べられている。

 白いカバーのかかった卓上には、飾り気のない白いティーポットと、同じく白いソーサー付きティーカップだけ。

 席に着いているのが全員、仮装パーティーの客なので、ごてごてした格好と簡素なテーブルセットのコントラストがなんとも珍妙だ。

 さらにいうと、テーブルはほぼ満席状態だが、一人客が多いせいか、全員がおしゃべりもほとんどせずただしずしずとお茶を飲んでいるだけなのも、なんだか異質な気がした。


 茶菓子のないお茶会?


 などと思っている私の横で、形部兄弟が謎の目配せを交わした、そのとき。


「えっ、ちょっとなんで連れて来ちゃうの」


 すぐそばで聞き覚えのある声が言った。

 それは誰あろう、私をこのパーティーに連れてきた同僚、堀道雅緋(ほりみちみやび)の声だった。

 私と同じメイド服だが、パーティーの客であることを示すオレンジのリボンを外している。

 会場で見当たらなかったはずだ。こんな別室にいたとは。

 私は少し腹が立った。席を外すなら事前にそう言えばいいのに。


「堀道さん。私、はぐれたと思って探してたんだけど」


 そう咎め立てると、なぜか室内にいた全員が――形部兄弟も含めて――何かいわくありげにこちらを振り向き、名指しされた当人はぎょっとした様子であたふたと周りを見ながら、唇の前に人差し指を立てて小声で言った。

「ちょっ、ここで名前呼びはやめて」

 私が口を開こうとするのを片手で制し、彼女は私たちを連れてきた黒服に、


「このリボン着けてるメイドはこっちに来させないでって言ったでしょう」


 すると、きつい口調で叱られた黒服はしどろもどろ。

「え、でも……連れだっていうから……」

 雅緋は大げさにため息をつき、何か彼に言おうとしたのだが、


「そろそろ失礼するよ」


 恰幅の良い海賊船長が雅緋に声をかけてきた。

 雅緋は慌てて居住まいを正して本日はお越しいただきまして、などなど長々と謝礼の意を述べ、

「会場にお戻りですか?」

 と尋ねた。

 だが、相手が帰ると言うので、彼女は

「承知いたしました」

 と答えてから、件の黒服くんに命じた。

「玄関までお送りしてください」

 黒服は雅緋に小声で、すみません、と謝ると、海賊船長を案内して部屋を出て行った。

 扉が閉まるのを見届けてから、彼女は私たちに――というか、形部兄弟に向き直り、

「大変失礼いたしました。ご試飲ですね」

 と、たった今、空いたばかりのテーブルに私たちを誘導しようとする。

 が、紫音はそれを制して言った。

「それより、」

 一段と声をひそめて続ける。


「ヘイズがほしいんだけど」


 すると、雅緋は再び、承知いたしました、とかしこまると、私と形部兄をとりあえず椅子に座らせてから、紫音と二人、紫の小箱が並ぶ長机のほうへ移動した。

 彼らはそこで顔をくっつけるようにしてひそひそ話をしていたと思うと、わりとすぐに戻ってきた。

 紫音はにっこりして私に言った。


「私たちこれで帰るけど、あなたどうする?」


 私が雅緋を見ると、彼女はどうぞ、というように頷いたので、お言葉に甘えて帰ることにする。

 雅緋は室内にいた他の黒服を呼んで、私たちをホテルの玄関ホールまで送るように指示した。

 クロークで手荷物や上着を受け取ったあと、私がスマホを出して自宅までの経路を検索しようとしたとき、車で近くの駅まで送ろうと形部兄が申し出てくれたので、ありがたく受けることにする。


 言っておくが、いくら流されやすい私とて知らない男の車にほいほい乗ったりはしない。あくまでも彼が同じ会社に勤める上司だからだ。


 しかしまあ本音を言えば、これで立食式で疲れた脚を休ませられると内心嬉しかったことは否めない。


 地下駐車場へ向かうエレベーターに乗り込み人目がなくなると、誰からともなくマスクをはずして互いの顔を確認し合う形になった。

「あーもう、やっとスッキリした。このマスク、やたら目の周りがムレない?」

 そんな文句を言いながらバッグからコンパクトを出し化粧を直す紫音は、隣に立つ係長とよく似た整った顔立ちで、二人に血縁があることは確かなようだ。

 彼に習って、私もメイク崩れをチェックしていたところ、エレベーターが止まった。

 高級車がずらりと並ぶ薄暗い地下駐車場の中、彼らが私に「どうぞ」とドアを開けてくれたのは、国産メーカー製でありふれた中型の白いフォードアセダンだった。

 彼らは紳士的に私に後部座席を勧めてくれ、兄は運転席、弟は助手席におさまる。

「都鶏(つげ)くんは〇〇駅まで送ればいいんだな」

 車をスタートさせながらそう確認する係長に、私は「お願いします」と返す。

 と、紫音が何か思い出したようにシートベルトを締める手を止めて、


「そうそう、これ渡しておくわ」


 身体をねじって私のほうに小さなカードを渡してきた。

「車の中でごめんなさい。ホテルだと人目が気になっちゃって」

 それは彼の名刺だった。

 西蓮寺紫音という彼の通称名と、「サイレン探偵事務所所長」という肩書、そして紫色のロゴマークは、魚のヒレのような飾りをつけた中世風の兜をかぶる女性の横顔が単純化されて描かれていた。

 車が地上へ出た。

 空はもう暗かったけれど、クリスマスイルミネーションのおかげで道路は昼間なみに明るい。

「探偵さんだったんですね」

 私が話しかけると、紫音は肩越しに、

「便利屋みたいなものよ。浮気調査からペットの捜索まで色々やってるから、困ったことがあったらお気軽に相談してね」

 と、ウインクをよこした。

 私は言った。

「訊いていいですか?」

「いいわよ」

 紫音は前を向いたまま答える。

「ただし、守秘義務があるから、私が答えられるかどうかは質問によるけど」

「あのパーティーで、私、パープル・ヘイズはあるかってしょっちゅう訊かれましたけど、パープル・ヘイズって何ですか?」

「あのパーティーを主催してる宝石店が、副業的に売ってるお茶のブランド名」

「ただのお茶をなんでコソコソ隠れるようにして別室で飲むんですか」

 彼は軽い口調で答えた。


「大麻茶だからよ」


 た、大麻!?

「あの、麻薬の大麻ですか!?」

「まあ世間的にはそういう認識よね~」

 苦笑交じりにそう言って、紫音は大麻から取れる薬効成分には大きく二つあって、そのうちのCBD(カンナビジオール)と呼ばれる成分は中毒性がなく、最近は抗うつ作用や鎮痛作用などを期待してハーブティーやアロマオイルにCBDを添加したものが合法的に売られているのだと説明してくれた。

「つまり、あの部屋で売られてたパープル・ヘイズはそういうお茶ってわけ。でも、やっぱりイメージがよくないから、別室でああやって売ってるんでしょうね」

 

「じゃあ、紫音さんが買った”ヘイズ”もそういうCBD入りのお茶なんですか?」


 一瞬の沈黙。

 あれ、私なんかまずいこと訊いた?

「目がいいのね」

 本気で感心しているのか、それとも皮肉なのか、よくわからないため息とともに彼は言った。

「見る?」

 私が何も言わないうちに、彼は紫の小箱を肩越しに投げてよこした。

 タバコの箱くらいのサイズだが、意外に重い。

 中身は圧縮して売られている中国茶みたいな感じなのだろうか。

 「HAZE」と金文字で書かれた瀟洒なラベルのほかは、中身の見当がつきそうなものは何もなかった。

「中身は私も知らないの」

 紫音が言った。


「ただの高級なお茶なのかもしれないし、それとも他の何かかもしれない。私がクライアントに頼まれたのは、ただあのパーティーで”ヘイズ”を手に入れてきてほしい、それだけ」


 それって……。

 私が口を開こうとしたそのとき、係長が言った。

「都鶏くん、着いたぞ」

 私は紫音に小箱を返すと、お礼を言って車を降りた。

 すると、紫音が助手席の窓を開けてにっこり手を振りながら、言った。

「またね」



 あれだけさんざ飲み食いしたのに、不思議なことには家に帰って風呂に入ると小腹が空いた。

 私は冷蔵庫からダイエットコーラと魚肉ソーセージを出して、コタツに入った。

 ギョニソはパッケージのフィルムを破ってそのままかぶりつくのが一番美味いというのが私の持論だ。

 ダイエットコーラはあまり好きではないが、罪悪感と美味とを秤にかけた結果である。

 そうして食べ慣れたものを味わいながら、なんやかんやあった今日を思い返すうち、だんだん腑に落ちてきたことがあった。


 あの場所での私の奇妙な存在意義。

 メイドの格好なのにメイドじゃない。

 知り合いじゃなくても話しかけることができる。

 目立つようで目立たないオレンジのリボンと、衣装。

 全部に何かの意味があったのだ。

 でもそれは、雅緋本人に確かめればいい。

 私はそう思いながら、ハンガーラックにかけた彼女からの借り物の衣装を眺めていた。



 一週間ほどして、私はメイド服を紙袋に入れて、堀道雅緋の机まで持って行った。

「堀道さん、これ、クリーニングしといたから」

 雅緋は紙袋を受け取ると、中身を確認して、

「うん。わざわざありがとうね」

 それからこう続けた。

「都鶏さん、今、時間ある?」


 私たちは打ち合わせ用の小ブースに移動した。

「パーティー、誘ってくれてありがとう。一応お礼を言っておくわ。料理おいしかったし、めったにない体験もできたし」

 雅緋は私の言葉を無視して尋ねた。

「あの紫ドレスの男と知り合い?」

「知り合いなわけないでしょう。勝手に連れってことにされただけよ」

 半分本当、半分嘘。全部真実を伝えようとするとややこしくなるから。

 雅緋の顔があからさまに安堵するのを見て、私は複雑な気分になった。

 ホッとするのはまだ早いよ、悪いけど。

 私は一番尋ねたかった質問を口にした。


「私、あのパーティーでは、パープル・ヘイズを売ってるって客に知らせる役だったのよね?」


 私が、というかリボンをつけたメイドがいれば、「パープル・ヘイズ販売中」、いなければ「今は売ってない」。

 そしてホテル側には知られないように、パープル・ヘイズを買いたい常連客と、黒服とをつなぐ役。

 私に話しかける客がいると、必ず黒服がフォローに寄ってきたのはそのため。

 仮装パーティーで紛らわしい、目立つようで目立たないメイド服は、一種のカモフラージュだ。

 そして肩で揺れるオレンジのリボンは、常連客にはよく見知った目印。

 おそらく彼ら宛の招待状には、「いつもの御品をご希望の際は、肩にオレンジのリボンをつけたメイドにお申し付けください」とでも書いてあるのだろう。


 雅緋の口元が、きゅっと引き締まる。

 どう申し開きをしたものか、言葉を探しているのだろう。

 しばしの沈黙のあと、彼女は言った。

「怪しいことをしてるわけじゃないわ。ただ、イメージ的にホテル側がいやがるから。いつもは、妹に頼んでるんだけど、もうすぐ受験だから、勉強を優先させてやりたくて……」

「背格好が似てたのね、私と」

 彼女は小さくうなずいて、手元に視線を落とした。

「黙っててごめんなさい。事前に言ったら断られると思ったから」

 それは誰でも断るだろう。と思ったけど口には出さない。

 雅緋は続けた。

「妹の進学費用のために土日だけあの宝石店でバイトしてるの。パーティーの手伝いもその延長で……あの、勝手なお願いだけど、会社の人には言わないでくれる?」

 私は口外しないことを約束し、妹さんの大学合格を願っていると言って、お互い仕事に戻ったのだった。


 ところで、例の強烈な弟を持つ形部係長だが、奇しくもこの日の終業後、一階に降りるエレベーターでばったり会った。

 彼が深刻な顔で

「ちょっと話がある」

 と言うのでついていくと、彼は会社のロビーでコーヒーを奢ってくれた。

 さすが上司、雅緋よりサービスがいい。

 で、彼の話はなにかと聞いてみれば、弟のことを口外しないでほしいという、それだけのことだった。

 一日に二度も他人から秘密を口外してくれるなと懇願されたのは、四半世紀生きてきて初めてだ。記念日認定せねば。


「言いませんよ、誰にも」


 そうこともなげに答えると、いつもスンとしている彼の顔いっぱいに、安堵と喜びの表情が現れて、私はびっくりした。喜色満面のお手本みたいな顔。

「ありがとう。すまない。恩に着る」

 私の手を取って振り回しそうになる彼を制して、いやいやいや、と私は頭を振った。

「今はそういうのをアウティングって言って、セクハラと同じくらい嫌われるんですよ。別に恩に着ていただくほどのことじゃないですって」

 これで仕事で何かミスったときはフォローしてもらえるかもしれない。



 年末が慌ただしく過ぎて年が明けた頃、例の宝石店主催のパーティーが中止になったという噂が流れてきた。

 宝石店は業務縮小となり、雅緋が土日のバイトがなくなったとぼやいていたので、私は彼女にロビーのコーヒーを奢ってやった。

(完)

※挿絵はAIにより作成しました。

※この物語はフィクションです。

紫の研究(前編)

 



 会社の同僚に誘われて、クリスマスの仮装パーティーにメイド服で参加したら、本物のメイドに間違われた。


「ちょっとそこのあなた、このお皿、下げて」

「君、新しいシャンパン持ってきてくれ」


 有名シェフ監修の料理が食べ放題というだけあって、大盛況のパーティーだ。

 ホテルの宴会場が人で埋まっている。

 場内には宝飾類の展示即売会が併設されていて、どうやらお手頃価格のおいしいランチで客を集めて、シャンパンだのワインだので気が大きくなったところで衝動買いしてもらおう、というのが業者側の魂胆らしい。

 商品はすべてガラスケースにおさまっており、立食形式なので客は飲み食いしながら自由に見て回れるようになっている。

 商談したい場合はひとまず飲食物を置いて別室へ通されるシステムらしく、宝石店のスタッフらしい黒スーツに連れられて行く客をちらほら見かけた。


 が、私のような薄給の会社員には縁のない話であるのでそれはどうでもいい。


 問題は、料理や飲み物に気を取られているうちに、そばにいたはずの同僚がいつの間にかいなくなっていたことだ。


 スマホは持ち込み禁止と受付で言われてコートと一緒にクロークに預けたため、連絡手段はない。

 そのうち飲み食いにも飽きてくる。

 仕方ないので壁際に突っ立っていたら、何だか用事を言いつけられまくり始めた。

 これは本物のメイドに間違われているんだなと気づいたけど、いちいち否定するのも面倒なので、言われるまま黙ってグラスや皿を片付けたり、新しいシャンパングラスを運んだり、何か尋ねてくる客を他のスタッフにつなげたり。飽きたら帰ろう、などと思いつつ動いていた。


 子供の頃から、周囲に流されるタイプとよく言われる。


 ちなみに仮装といってもさほど気合いの入った参加者はいない。

 女性はたいてい魔女っぽかったり、某有名テーマパークのプリンセスみたいなドレス。

 男性はスーツにマントを巻いた簡易ドラキュラ伯爵とか、チンピラみたいな海賊とか。

 そして全員、招待状と一緒に送られてきたマスクを着けている。

 目の周りだけ隠すデザインで、色はシンプルな黒。

 私は子供の頃見た某動物アニメを思い出した。

 なんだっけ、怪傑ゾロr……とかいうやつ。


 このパーティーには、一緒に来た同僚の他にも私と同じ会社の人間が何人か参加しているらしいのだが、マスク(と衣装)のせいで誰が誰だかさっぱりわからない。

 来る途中で同僚から得た情報では、参加者の中には、私が苦手な形部(かたべ)係長もいるらしい。


 社内でも有名な、カタブツ形部。


 たしかに仕事はできる。

 頭のキレる人だと思う。

 でも、周囲に厳しくて、誰かが冗談を言っても、いつもスン……と真顔。

 メガネハンサムというのだろうか、容姿はまあまあだし昇進の噂もあるので、狙ってる女子社員がいるらしいけど、浮いた噂も聞かない。

 いつも定時帰り、飲み会も参加しない。

 そのせいかどうか、うちの部署では全員参加の飲み会というものはいつしかなくなってしまった。


 ま、お酒が苦手な私には、ありがたいことではある。


 さて、そんなこんなではぐれた同僚を目で探しながら、言われるままあちらで空いた皿を下げ、こちらでグラスにシャンパンを足し、などなど、もはや本物のメイドとして時給をもらってもいいんじゃないかと思えるくらい動いていたら、さすがに小腹が空いてきた。

 客なんだから遠慮はいらぬとばかり、料理を小皿に取って食べていると、少し年かさの魔女が私に言った。

「あなた、食事なら控室でお取りなさいな。お客の料理をつまむなんて、怒られるわよ」

 パーティー参加者は全員、肩の目立つところにオレンジ色のリボンをつけている。

 私ももちろんつけているのだが、どうやらリボンは彼女の目に入っていないらしい。

 どう返答したものか、私が曖昧に

「はあ……」

 と答えると、魔女は気分を害した様子で、さらに何か言おうと口を開いた。

 と、そのとき。


「彼女はパーティーの参加者ですよ」


 男性の声が言った。

 振り返ると、メガネをかけたインテリヤクザみたいな海賊がいた。

 なんとなく見覚えのあるフレームなしメガネ。

「肩にリボンがあるでしょう」

 そう言われた魔女は私の肩を改めて見て、

「あ、あらほんと!ごめんなさい、あなたが紛らわしい格好しているものだから……」

 などと、ちょっとバツが悪そうに笑いながらそそくさと立ち去って行った。

「ありがとうございます」

 助けてもらったので礼を言うと、

「君ももう少しはっきりと、自分はお客ですと主張したまえ」

 お小言を頂戴した。


 この声、口調、どこかで……?


「あの、もしかして」

 形部係長ですか、と言いかけたそのとき、


「ミナト!」


 という声がして、なんだかキラキラしたものがこちらへ近づいてくるのが見えた。

 肩より上で切りそろえた真っ直ぐな黒髪の耳元に大ぶりのイヤリング。

 アングルカットの前髪がおしゃれだ。

 キラキラして見えるのは、着ている紫のドレスに散りばめられたラメのせいだろう。

 だけど。


 紫色のドレスを着た……女?


 いや、違う。

 身体の線がばっちり出るドレスの胸元を押し上げているのは、どう見ても大胸筋だった。

 身長は、190センチ近くあるだろうか。

 ノースリーブの肩に盛り上がる上腕二頭筋と、長いスカートの前部分に開いた大きなスリットから歩くたび見え隠れする立派な下腿三頭筋。

 ちなみに腕も脚もツルツルだ。

 目元がマスクで覆われているため、詳しい顔立ちはわからないけれど、がっしりした鼻筋と顎、そして極めつけは喉仏だった。


 間違いなく男だ。とりあえず、見た目は。


 何の仮装なのか、そもそも仮装なのかどうかすらわからないが、彼(というべきだろう、たぶん)のドレスが照明を浴びて放つ輝きのみならず、その全身から漂う迫力に気押されたのだろう、彼の進行方向に沿って人垣が左右に分かれる様は、見ていて壮観だった。

 紅海を渡るモーセもかくや。

 彼は形部係長らしき人物につかつかと歩み寄ると、


「あんた、今日は一応アタシのエスコート役なんだから、勝手にどこか行っちゃうのやめてよね」


 と、子どもに注意するような口調で言ってから、こちらを見た。

 ほんの一瞬、私の肩のリボンに視線を止めてから、にっこり。小さい子供が見たら泣くんじゃないか。

「こんにちは」

 紫ドレス男は私に向かって言った。

「かわいいメイド服ね。自前なの?」

「いえ、会社の同僚から借りたんです」

 私は正直に答えた。

「このパーティーもその人と一緒に来てたんですが、はぐれちゃって」


 私は彼ら二人の関係性が気になりすぎて、思わず尋ねた。


「お二人は、お友達どうしですか?」

「いいえ、兄弟なのよ」

「アキラ!」

 紫ドレス男が即答する横で、係長らしき人物が慌てて遮ったが、もう遅い。

「大きな声出さないでよ、みっともない」

 アキラという名前らしい紫男は憮然として言った。

「あとその名前で呼ばないで。私はシオンよ、シ・オ・ン」

 噛んで含めるようにそう言われて、係長らしき男、ミナトは苦い顔になり、何やらブツブツ言いながら引き下がる。


 私は俄然この二人に興味が湧いてしまった。


 あのカタブツ形部にこんな強烈な兄弟がいる(かもしれない)のだ。面白すぎる。

 私はなんとかして(主にインテリ海賊が係長だという確証を掴むために)彼らともう少し話をしたいと思ったのだが、どういうわけか紫男のほうも私に興味津々らしく、幸いにもというべきか、我々の会話は続いた。


「このパーティーには何度かいらしてるんですか?」

 と私が尋ねると、

「いいえ、初めてなのよ。ずいぶん盛況なのね」

 あなたは?と訊かれて、私は自分もこのパーティーは初めてだと答えた。

「訊いてもいいかしら?はぐれた同僚の方って、男性?」

 私は頭を振った。

「女性です。私と同年くらいの」

「親しいの?」

 私は再度、頭を振る。

「全然。彼女がビュッフェパーティーのチケットが余ってるから行かないかって言うから来ただけです」

 すると、今まで仏頂面で黙り込んでいた係長(仮)がぼそっと言った。

「親しくない相手と一緒にメシを食ってもうまくなかろう」

「うまいまずいの問題じゃありませんよ」

 私はちょっとムッとして言い返す。

「おごりで、しかもビュッフェなら、二食分くらい余裕で食費が浮くじゃないですか。ま、都会で一人暮らしする私みたいな貧乏社畜の気持ちなんて、懐に余裕のある形部係長にはご理解いただけないでしょうけれど」


 沈黙。


 ……あれ?私、今、「形部係長」って言っちゃった……?


 相手の顔色をうかがうと、係長(仮)と目が合った。

 彼は、この世の終わりみたいな真っ青な顔で私を見ていた。


 結論。


 私が係長(仮)と心で呼んでいた男は、本当に形部係長こと形部湊(みなと)だった。

 一緒にいる紫ドレス男は彼の弟、形部洸(あきら)。

 紫男と私が互いに自己紹介しているあいだも、係長はずっと渋い顔を崩さなかった。

 よほどこのエキセントリックな兄弟のことを会社の人間に知られたくなかったのだろう。

 形部弟は、自分を西蓮寺紫音(さいれんじしおん)と呼べと言った。

 西蓮寺は母方の名字らしいが、なぜそんな通称名を名乗っているのかについては、聞きそびれた。

 宝石商の黒服が、私たち――というよりは形部兄弟に声をかけてきたからだ。


「お客様、よろしければ商品をご覧になりませんか」

 インプラントでもしてるのかと思うほど白い歯が眩しい。

「ご希望の商品のお取り寄せもできますよ」


 すると、形部弟が言った。

「ありがとう。じゃあ、パープル・ヘイズはあるかしら」


後編はこちら

2024年12月8日日曜日

紅蓮の禁呪153話「竜と龍・十」

 


 法円を守る「壁」が復活した、まさにそのとき。

 漆黒の巨竜が再び天に向かって吠えた。

 竜の背びれは今や不気味な輝きに満ち、魚じみた青白い棘子の連なりを薄闇にくっきりと浮かび上がらせている。

 棘子の先端から激しい火花が散った、次の瞬間。

 先と同じ、凄まじい稲妻が、薄明の空を青白く照らした。


 それは本当に一瞬の出来事で、誰も再度の雷撃を覚悟する暇さえなかった。

 地鳴りのように辺りを震撼させて、耳を聾する雷鳴がとどろく。


 だが――


 龍垓の雷撃が「壁」を直撃することはなかった。


 なぜなら。


 突然、まばゆいほどの青い光と金色の稲妻が、闇を纏った青白い雷撃を弾いたからだ。

 目も眩む光が収まったあと、そこにいたのは、もう一体の巨竜。


 紺碧に輝く鱗を持ち、黄金のたてがみと雷槌をまとったそれは、薄墨の世界を鮮やかに切り裂く、一筋の青い光だった。


 己の前に立ちはだかる紺碧の竜に、黒珠の巨竜はしかし、怯むことすらなかった。


 むしろ己より一回り小さな相手を嘲笑うかのように鼻から青白い鬼火を吐くや否や、その牙を剥いて襲いかかり――


 二頭の巨竜による死闘が始まった。


 その姿はあたかも薄明の空に出現した光と闇の巨大な二重らせんのようで、青白い稲妻と黄金の稲妻が交錯し、ぶつかり合う。

 その断続的な咆哮と雷鳴は、この薄明の世界のみならず、地上に広がる無人の首都のビル群をも震わせた。


 一方。

 迦陵の相手を続けている泰蔵は、この世の超自然の力すべてをその身に集めて戦う弟子を視界の端で捉えては、面映ゆいような気分を味わっていた。


 まったくお前は大した弟子だよ――


 そう苦笑したそのとき、「引き伸ばしていた」時間が終わり、死神の鎌が目の前をかすめた。

 泰蔵は一人ではなく、二体の式鬼を伴っている上に、二秒間だけとはいえ、一秒を五倍に引き伸ばして行動できる。

 あの迦陵といえど、禁術の起動まで抑えておくなど造作もないはず――そう思われた。


 ところが驚くべきことに、迦陵は彼らとほぼ対等の動きを見せた。


 戦うほど、迦陵の纏う黒衣に、顔に、細かな裂傷が増えていく。

 けれど、少なくとも、二度と胴体から首が離れるような失態を犯すことはない。

 泰蔵たちが時間を「引き伸ばして」いるとき、迦陵はひたすら防御に徹した。

 普通の人間なら見極めようのない彼らの動きを、この黒珠の死神は恐るべき動体視力でもって見抜き、その攻撃を紙一重で躱したのである。


 そして二秒後、彼らが通常時間に戻るタイミングを狙い、一撃必殺の攻撃を仕掛けてくる。


 その手堅い戦法に、泰蔵は敵ながら舌を巻いた。

 と同時に、このまま戦いが長引き、疲れて万が一にもミスをしたら――といういやな想像が脳裏をよぎった。

 気を抜けば、今度はこちらの首が、胴体から離れることになるだろう。


 かてて加えて、巨竜たちの足元というこの場所もまた、泰蔵の神経をすり減らす原因だった。

 巨竜たちの姿は実体ではないから、踏み潰されることはない。


 とはいえ、もしも雷撃の巻き添えを食らえば、最悪、死が待っている。


 無論それは泰蔵に限った話で、迦陵には関係がない。

 たとえ直撃を受けて黒焦げになっても、この黒珠の死神は時間さえ許せば復活するだろう。

 実際のところ、泰蔵や式鬼たちによってつけられた迦陵の傷が、驚くほどの速さで元通りになっていくことに、泰蔵は気がついていた。


 黒珠の力が増している。


 そんな確信に、泰蔵はいやな汗が背を伝うのを感じた。

 力を禁術の起動に割く必要がなくなったおかげで、龍垓と迦陵に直接その力が注がれるようになったのだろう。


 この老体が保つ間に、術を起動してくれよ――


 圧倒的な力の気配を放つ龍垓と戦っている竜介のためにも、泰蔵はそう祈らずにはいられなかった。


 

 さて、少し時間を戻そう。

 竜介と泰蔵が法円の外に出て、鷹彦が「壁」を復活させた直後、黄根は紅子に向き直ると、


「紅子」


 と、改まった口調で、しかしてきぱきと言った。


「お前はこれから重大な決断を迫られるだろう。お前はすべてを終わらせねばならない」

 彼は「すべて」という言葉に力を込めた。


「怪物を永遠に葬るため、お前が最善だと思う道を選べ――己の心に従って」


 そうして、彼女の目の前の柱の上で輝いていた黄珠の上に手を一振りしてそれを消すと、彼は紅子の返事を待たずに、くるりと踵を返して法円の辺縁に建つ柱のうち一つへと遠ざかって行った。


 見回すと、他の三本の柱の傍にはすでに玄蔵と白鷺家の二人がそれぞれ立っている。

 志乃武は顔色がよくないものの、まっすぐに前を向いていた。

 彼のバックレザーのムートンコートは、右腕の前腕の途中ですっぱりと斬り落とされ、その血まみれの切り口から突き出たむき出しの腕は、白くて寒そうだ。

 今の紅子は、誰にも説明されなくとも、志乃武の身に何が起きたのか手に取るようにわかった。

 玄蔵は娘と目が合うと、ゆっくりと頷いてみせた。

 おそらく、「大丈夫だ」とか「お前ならできる」と言いたいのだろう。


 不思議だ――と、紅子は思っていた。


 心がとても静かだった。


 魂縒の前に感じていた、様々な感情――不安や緊張だけでなく、舌にまとわりつく血の味や肌の不快感、身近な人々と再会できた喜び、安堵、それに、日可理の姿を見たときの複雑な気持ちにいたるまで、雑然と心を波立たせるものすべてが、きれいに消えていた。


 まるで、磨き上げた鏡面のように、意識が澄んでいる。


 感情がなくなってしまったわけではない。

 「壁」の向こうで起きていることを五感が捉えるたびに、心は相変わらずざわつく。

 ただ、そのことに囚われたままにはならない。


 彼女は今、自己というものを完璧に制御していた。


 魂縒を受ける前、なぜあれほどまでに自分の脳裏は雑念にまみれていたのだろう、なぜつまらない雑念にいちいち心を揺らしていたのだろう、と心中で首を傾げるほどに。


 それと、もう一つ。


 これまで自分を何度か救ってくれた「力の化身」のようなものの存在を、彼女は今、はっきりと意識できるようになっていた。

 魂縒の後の昏睡が思いのほか短く――というより、一瞬で終わったのは、黒珠に支配されて自我のない状態が長く続いたため、無意識下でこの「力の化身」との同化が進んでいたおかげらしい。

 ともかくも、今すぐに再度禁術を起動できる状態であることを、紅子は素直によかったと思った。


 禁術の再起動が、一筋縄ではいかないとわかるまでは。



※挿絵はAI生成です。

紅蓮の禁呪157話「禁術始動・四」

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