2024年5月30日木曜日

紅蓮の禁呪145話「竜と龍・二」

 

 夕暮れのほのかな残光が消え去ると、分厚い黒雲に覆われた街は闇に沈んだ。

 雲の奥で閃く稲妻が、ほんの気まぐれのように、時折、辺りを青白く照らす。

 それを除けば、明かりと呼べるのは先行する除雪車と、彼らの車の四つのヘッドライトだけだ。

 人工的な白い光が、雪と氷のせいで色を失った無人の街をさらに不気味に演出する。


 彼らが目的地に到着したのは、時計の針が午後六時半を過ぎて、三十五分に近づきつつある頃だった。


 案内はここまでという当初の取り決めがあったので、除雪車はビルの前でUターンすると、次の作業場所へ向かって行った。

 この寒波のせいで、除雪車や雪上車は仕事が目白押しなのだ。

 去り際、除雪車の作業員は車の窓を開けると、ワゴン車の運転席にいる虎光にむかって、何度もこう念押しした。


「必ず半刻以内にはここから来た道を戻ってくださいよ!」


 このとき、それまで降りしきっていた雪はやみ、風も弱まっていた。

 しかし、今の都内の気候はあまりにも不安定だ。

 彼らも仕事柄、いつまた猛吹雪が襲ってくるかわからないような場所に一般車両を置き去りにしたくはなかったのだろう。

 虎光自身も、なるべく早くここを立ち去ったほうがいいとは思っていた。

 けれど、それは後部座席にいる面々の意見次第だ。

 ヘッドライトの中に浮かび上がる本社ビルの地下駐車場入口は、シャッターが降りている。

 彼はシャッターを開ける鍵をセキュリティから預かって来ているが、今目の前にあるそれは、どう見ても凍りついて動きそうにない。

 そしてたとえ中に入れたとしても、停電でエレベーターが動かないため、最上階までは階段で行くしかない。


「ここからどうします?」


 彼が運転席から肩越しに尋ねると、


「ここで降りる」


 相変わらず苦虫を噛み潰したような顔で、黄根が言った。


「中には入れませんよ」

「わかっている」

 鷹彦の忠告を、黄根はうるさそうに手を振って制した。


「今ならば、地上から直接行ける。黒帝宮を囲む力場が弱まっているからな」


 そう言って、虎光に車のスライドドアを開けるよう促す。

 竜介が慌てて尋ねた。

「もう儀式が始まっているんですか?」

 力場が弱まっているということは、黒珠の力が儀式の立ち上げに使われているということだ。


「まだだ。だが、もうまもなくだ」


 黄根が短くそれだけ答えたちょうどそのとき、車のドアが開放され、凍てつく外気が一気に流れ込んできた。

 黄根を除く車内の全員が、急激な寒さに思わず身を縮めるが、それもほんの一瞬だった。


「急ぎましょう」


 一番ドアに近い日可理が先陣を切って雪と氷の中へ出て行く。

「滑るから気をつけてください」

 続いて出た志乃武が、あとの五人にそう声をかけた。

 オートモードになっている車載ヒーターが、下がった室温を元に戻そうと凄まじい勢いで温風を吐いているが、この寒気にはとうてい太刀打ちできそうもない。

 虎光は着ていたダウンジャケットのファスナーを首元まで上げながら、今朝見た天気予報を思い出す。

 たしか、東京の予想平均気温は零下二十度だった。

 七人が降りるのを見計らってドアを閉めたら、窓を開ける。

 冷気に噛みつかれる痛みをこらえながら顔を出し、エンジン音に負けないよう彼は叫んだ。


「みんな気を付けて!」


 ヘッドライトに浮かぶ全員が彼にむかってそれぞれ会釈をしたり頷いて見せ、彼の兄弟たち二人は片手を上げた。


「母さんたちを頼んだぞ!」


 竜介の声が返ってきたと思った、次の瞬間。


 金色の法円が七人を囲むように現れ、彼らの姿は跡形もなく消えたのだった。



 不帰の旅路は、その先に待つものの重さとは対象的に、あまりにもあっけなく終わった。


 一瞬、視界が暗くなって地面がなくなり、空間識失調に襲われる。


 竜介と黄根老人を除くあとの五人にとって、それは事前の説明もなく恐怖の経験だったと思われるが、誰も――鷹彦でさえ、悲鳴を上げたりすることはなかった。

 なぜなら、視界と重力が戻ったと同時に、首の後ろに強烈な痛痒感を覚えたからだ。


 自分たちが今、紛れもなく黒珠の根城にいるという証だった。


 彼らが最初に目にしたものは、不気味な燐光を放つ一メートルほどの列柱。

 次いで、夕暮れのような薄明の中に浮かび上がる、つややかな黒曜石を敷き詰めた広場と、それを取り囲む広大な廃園だった。

 黒い床面に映りこむ列柱の青白い燐光は、少々不気味ではあるが、幻想的と言えなくもない。

 広場中央には、同じく列柱に囲まれた円形の舞台。


 舞台の床には幾何学模様の法円が刻まれ、弱いながらもすでに燐光を放っていた。


 術圧はない――まだ。


 だが、それも時間の問題に思われた。

 舞台上には、すでに人影があったからだ。


 法円の対角線上に四つ。中央に一つ。


 皆、黒い長衣を着て、フードを目深に被っている。

 中央の一人は、他の四人と比べ小柄だった。

 他の四人との違いは他にもあり、中央の者の長衣には、赤くきらめく宝石が散りばめられた瀟洒な縫い取りが施されている。


 その人影に、竜介の目は惹きつけられた。


 が、そのとき、燐光や薄明の弱い光が届かない廃園の闇の中から、まるで闇そのものが分かれるように、いくつもの黒い影が彼らめがけて襲いかかってきた。

 鷹彦が軽く舌打ちする。


「っち、おいでなすったか」


 だが、


「待て」


 風で影を散らそうとする彼を、竜介と黄根がほぼ同時に止めた。

「これは実体のない『影』だ。俺たちには何もできない」

 竜介がそう言ったが、

「え?そうなの?」

 きょとん顔で長兄を振り返る彼の青く輝く身体を、「影」たちが次々にすり抜けていく。

 黄根が呆れたような口調で言った。


「坊主……お前は今、我々が来たことを龍垓たちに大声で教えているのだぞ」


 彼らが黒帝宮にいることを、もしかしたら龍垓たちは「影」からの報告ですでに知っていたかもしれない。

 が、力を使うことは、その情報に加えて、自分たちがすでに禁術を乗っ取る計画を実行に移したと言っているようなものだ。

 黄根の指摘に、鷹彦は青い光を急ぎ消す。

 しかし、


「もう遅い」


 彼ら七人のうちの誰のものでもない、だがよく知った声が聞こえた。


 迦陵だった。


※挿絵はCopilot Designerで生成したAIイラストです。

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