2024年6月29日土曜日

紅蓮の禁呪146話「竜と龍・三」

 


 いつの間に――!?


 そう思うほど気配をまったく感じさせず、迦陵は竜介たち七人の行く手を阻む形で、法円のある舞台へと続く階段に立っていた。


 濃い瘴気のせいで、黒珠の気配が分かりづらくなっている。


 そんなことを思いながら、竜介は攻撃に備えた。

 七人の発する光が列柱の燐光を圧倒する。

 迦陵の背後で影が深くなった。


 ざわり。


 影はうごめき、次の瞬間、黒い長衣を着てフードをかぶった人の形に分かれたと思うと、彼らに向かってきた。

 その数、十体。

 息遣いも足音もなく、滑るようなその動きは黒衣をまとった幽鬼の群れのようだ。

 さっきの「影」とさほど変わらない、そうたかをくくったらしい鷹彦がつぶやく。


「また『影』か」


 だが、それを聞きとがめた竜介は、


「こいつらは『雑色(ぞうしき)』だ。実体があるぞ」


 早口で警告した。

 その言葉が聞こえたかのように、黒い長衣の下から現れた偃月刀(えんげつとう)が、ぎらりと光る。


「まじかよ!」


 急襲を受けた鷹彦は、急ぎ「かまいたち」で応戦するが、相手は本当に実体があるのかと疑うほど手応えがない。

 切り捨てたはずの黒衣は、すぐに元通りになる。

 それなのに、振り下ろされる偃月刀は確かに実体があり、「かまいたち」で受けると、火花が飛び散った。


 いわば空を舞う刀剣だけを相手にしているようなものだ。


「くそっ、これじゃきりがないぞ!」


 そんな切羽詰まった声が、玄蔵から聞こえた。

 重力を操るほかは体術しか手がない彼は防戦一方で、鷹彦以上に苦戦を強いられていた。

 かろうじて避けた刃の切っ先にコートを切り裂かれ、そこここにほころびができている。


「フードの中の呪符を斬れ!」


 竜介が鷹彦に向かってそう叫ぶのが聞こえたが、雜色の太刀筋は思いのほか鋭く、玄蔵がフードの中に手を伸ばせるような隙はない。


 と、そのとき。


 玄蔵に激しく斬り掛かっていた雑色が、突然、黒い霧が文字通り霧散するように消え、その向こうから黄根が姿を現した。


 彼は別の雑色から奪ったらしい偃月刀を今まさに振り下ろしたところで、その刃で両断されたらしい呪符が、ひらりと玄蔵の目の前をよぎる。

 黄根は持ち主のいなくなった偃月刀を地面に落ちる直前に素早く拾い上げると、刃を下にして、驚き立ちすくむ玄蔵にむかって投げてよこした。


「すみません」


 投げられた偃月刀の柄を危なげなく受け取り、玄蔵が思わずそう言うと、


「謝る必要などない」


 また一体、斬り掛かってきた雑色を切り捨てながら、黄根はそっけなく応じる。

 変わらない仏頂面。

 だが、玄蔵には今、その横顔がこの上なく頼もしかった。

 彼は言った。


「はい。ありがとうございます」



 一方。


「生きていたか」

「ええ。お生憎さま」


 法円が刻まれた舞台の縁に立つ迦陵に、日可理が応じる。

 迦陵が小柄なせいで、彼らの目線はほぼ同じ高さだ。

 雜色たちは皆、竜介たち四人を相手にしており、日可理と志乃武、それに泰蔵の三人の前には、迦陵しかいない。


 しかし、この黒衣の死神は、その気配だけで彼らを圧倒した。

 ただ、日可理だけが、その身の内に燃える激しい怒りで、相手が発する恐るべき冷気を撥ね退けている。

 その表情は、赤ん坊の頃から一緒にいる志乃武でさえ見たことがないような殺気に満ちていた。


「来るだろうと思っていた」

「雪辱を果たしに参りました」


 日可理の言葉に、迦陵はわずかに目を細める。

 それは、嘲笑、とも取れる顔だった。


「……貴様ごときが?」


 その言葉が終わる前に、小さな黒衣が彼らの目の前から消えた。

 語尾の「が?」という音だけが、まるで無人の空間から発せられたように思われた、次の瞬間。


 キンッという硬質な音が一つ――いや、二つが重なって聞こえた。

 それは、死神の鎌が、獲物の命を仕留めた音だったろうか?


 否。


 迦陵の両手の甲からそれぞれ伸びた、三日月型の鎌。

 それらが描く弧の先に、すでに日可理の姿はなく――


 代わってそこにいたのは、泰蔵だった。


 そして、彼の首に今にも吸い込まれようとしていた死神の刃を止めていたのは、朱色の房飾りがついた、二振りの剣。


 その柄の先には、白い水干姿の少女たちがいた。


 黒髪をそろって下げ角髪(みずら)に結い、絵巻物から抜け出たような出で立ちの「彼ら」は、白皙の顔に細い切れ長の一重まぶたという古典雛のような顔も瓜二つで、ただ、それぞれの額にある雪の結晶のような文様と、薄青い氷でできた小さなツノだけが、見分ける目印となっていた。


 そう、「彼ら」は人ではない。

 日可理が泰蔵に託した、雪華と氷華、二体の式鬼だ。


 迦陵は新手の出現に、一旦、手の甲の鎌を消して後ろへ跳び、間合いを取った。

 雪華と氷華も体勢を戻し、上段の構えを取る。

 氷華が左利きなので、彼らの動きはちょうど合わせ鏡のようだ。


「今のうちに、早く!」


 泰蔵は迦陵を見据えたまま、白鷺家の姉弟を鋭く促す。


「はい!」


 二人は法円が怪しい光を放つ舞台へ向かった。

 迦陵は、彼らに一瞥すらくれない。

 それは、氷華・雪華に牽制されているからだと――三人はそう思っていた。


 だが、違った。


「もう、遅い……」


 迦陵の口から、かすかなため息とともにもれた言葉。


 その次の瞬間、地の底から響くような、「詠唱」が聞こえた。

 地鳴りのようだが、それは確かに「声」だった。


 日可理と志乃武は、舞台上に駆け上がることはできなかった。


 禁術が始動し、法円の周囲に発生した力場が、彼らを弾き飛ばしたのだ。



※筆者注:挿絵はAIによって生成しました。

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