コロナ禍中、夏用マスクを作ろうと買い込んだ接触冷感生地。
布帛とちがって伸びる生地なので、マスク以外使い道も思いつかず、持て余していました。
でも捨てたりするのももったいないし…と考えていたところ、夏のお昼寝枕をこれで作ったら、普通の生地より熱がこもりにくくていいかも!と思いつきました。
で、作ってみたのがこちら。
下のまんじゅうみたいなのは某キャラに寄せてみました🤣
読書感想、映画レビュー、手作りした物など趣味日記。 小説を書いているので、その更新のお知らせなど。
コロナ禍中、夏用マスクを作ろうと買い込んだ接触冷感生地。
布帛とちがって伸びる生地なので、マスク以外使い道も思いつかず、持て余していました。
でも捨てたりするのももったいないし…と考えていたところ、夏のお昼寝枕をこれで作ったら、普通の生地より熱がこもりにくくていいかも!と思いつきました。
で、作ってみたのがこちら。
下のまんじゅうみたいなのは某キャラに寄せてみました🤣
※イラストはAIによるものです
『悪魔の辞典』でおなじみのアンブローズ・ビアスですが、ゴシックホラーの名手でもあります。
こちら短編集なのでとっつきやすいですが、南北戦争ネタが多くて、
「おじいちゃん、またその話ですか?」
って言いたくなりました😂
脚注はいくつかあるものの、巻末解説がないため、南北戦争など当時の情勢に明るくない日本人にとってはちょっと不親切かな。
私が一番気に入ったのは、『シロップの壺』。
死んだはずの商店主が、夜な夜な店に立って商いをするという話ですが、
「たとえ幽霊だろうと、無害で誠実な商売人ならきちんと歓迎してやればよかった」
というオチで、ちょっとほっこり😊
一方、最後に収録されている話、『ハルピン・フレーザーの死』は難解。
物語は終盤のホーカーとジェラルソンが墓地へ向かう部分を除いては、主人公の夢(妄想?)と実際の記憶が錯綜している上、暗喩やほのめかしだけで、主人公「ハルピン・フレーザー」がどうなってなぜ死んだのかをはっきり説明しておらず、結末については読み手の想像に委ねられているところが大きいと思いました。
なので、私なりに解釈してみます。
◆その1、ハルピンはなぜ「ブラスコム」と名乗っていた?
ハルピン=ブラスコム=ラルーであることは、ホーカー&ジェラルソンの会話や、彼らがブラスコムの遺体をみつけたとき、傍らに「ハルピン・フレーザー」の名前入りの手帳が落ちていたことから自明でしょう。
ブラスコム(またはラルー)は誘拐されて水夫として働いていたときについた愛称かな?とも思ったのですが、もしかすると救出されてからセントヘレナで「一緒に暮らしていた船員仲間」の名前だったのではないでしょうか。
さらにもしかすると、そんな船員仲間は最初からいなくて、ハルピンとブラスコム二つの名前を使い分けていたのかも?
◆その2、ブラスコムの妻「キャスリン・ラルー」とは誰なのか?
これは物語の冒頭と最後にヒントがあります。まず、
・冒頭、ハルピンは母親を「ケイティ」と呼んでいた。「ケイティ」は「キャスリン」の愛称。
・ホーカーが曰く、「ブラスコムの本名はラルー」「殺された女の名字がフレイザーだった」
さらにホーカーとジェラルソンの会話から、
・ブラスコム=ハルピンの妻は、未亡人となって身内を探しにカリフォルニアに来た
つまり、「キャスリン・ラルー」とは他ならぬハルピンの母親、「キャスリン・フレイザー」。
「ラルー」という名字がどこから来たのかはわかりませんが、もしかするとハルピンの母方の名字なのかもしれません。
彼女は夫を看取ったあと、息子を探してはるばるカリフォルニアへとやってきて、そして冒頭にもほのめかしがありましたが、二人は親子でありながら夫婦として暮らしていたわけです。エディプスコンプレックスの極みですな。
本名で母親と結婚するには問題があったのか、あるいは船員時代に何かあったのか、ハルピンは偽名を使っていたのでしょう。
「ブラスコムの本名はラルー」という言い方が気になるところですが、ハルピンはもしかするとファーストネームは使わず、「ブラスコム」あるいは「ラルー」という通り名だけを使っていたのかもしれません。
さらに謎なのは、ブラスコム=ハルピンが妻殺しの指名手配犯として追われている(いた)らしいこと。
◆なぜハルピンは母親=妻を殺した?
奇妙なことに、ハルピンの記憶?(作中ⅡとⅢ)には、「妻キャスリン・ラルーと暮らしていた思い出」がいっさい出てきません。
彼の記憶(あるいは夢)につきまとうのは、変わり果てた彼女の亡霊のみ。
いったい二人の間に何があったのかはわかりませんが、まあありがちな展開を考えると以下のような感じでしょうか。
未亡人として夫の遺産を継いだキャスリンは、カリフォルニアに息子ハルピンを探しに来て、船員として貧乏ぐらしをしていた彼と再会。自分たちのことを知る者がいないのをいいことに結婚、遺産でしばらくはぜいたくな暮らしをしていたものの、やがて金が尽きると二人の関係に亀裂が入る。
(ハルピンの怠惰な性格や、ケイティの富裕な家に嫁いだ贅沢ぐらししか知らない奥様ぶりは冒頭で触れられています。)
さらにハルピンは、自分よりも早く老いていく妻に嫌気がさし、ある日、衝動的に妻を殺し、猟銃を持って逃げた…
あれ?だとすると、セントヘレナで一緒に暮らしていた例の名無しの「船員仲間」は最初からいなかったんじゃない?ハルピンが「妻」と暮らした思い出を上書きしてそう思い込んだということなのでは?
愛する「妻」のことがハルピンにとってそこまで忌避すべき記憶となってしまったのは、彼が彼女を殺す前からなのか、それとも殺したあとなのか…
いずれにしても、物語では彼らの結婚が呪われた、忌むべきものとして扱われているのは間違いないでしょう。
呪われた結婚は殺人という恐ろしい形で破綻し、殺人者は自らが殺めた亡霊につきまとわれ、錯乱したあげく恐ろしい死を遂げる…
はからずもビアスの倫理観が垣間見た気がする作品でした。
(イラストはAIによるものです)
金ローで放映されたのでご存知の方も多いと思いますが、面白いとの噂を聞いて、私も見てみました。
主人公は会津藩の剣士。彼が長州藩のとある藩士暗殺の密命を帯びて、雷雨の夜、任務を遂行しようとしたところ、雷に打たれて、なんと現代の映画撮影所にタイムスリップ!というお話。
主人公が元いた時代は幕末ですので、幕政維持派の会津と、倒幕・尊王攘夷派の長州はバチバチなわけですね。
まあそれを知らなかったとしても、エンタメとして楽しめる内容ではあるわけですが。
主人公は現代にタイムスリップ後、自分の状況に混乱しつつも、時代劇のロケ先として撮影所となじみの深いお寺の住職夫婦に拾われて、周囲に助けられつつ、かねてより培った剣士としてのスキルを活かして、時代劇の「斬られ役」としてなんとか生活、現代に馴染んでいきます。
この映画、なんといっても演出が興味深い。
主人公が斬られ役なので、時代劇のいわゆる「殺陣(たて)」の場面がこれでもかというくらい何度も出てくるのですが、当然、当たっても怪我をしないジュラルミン製のペラペラな模造刀を使っての撮影なので、刀の触れ合う金属音がない。
俳優さんたちがどんなに気合いの入った立ち回りを演じても、静か~wなので、「演技」「お芝居」感が抜けない、どうしても「作り物」に見えるんですよね。
しかし!これがドラマ後半の、「真剣(劇中では「本身」と呼ばれています)による立ち回り」の撮影に生きてくるんです!
重い金属の刃が空を切り、ぶつかりあう音の迫力といったらもう!
あれは見ていてしびれました!ほんと、効果音って重要なんだなと今更実感です。
主人公がなぜ、周囲の反対を押し切り、「斬られ役」として自分を育ててくれた師匠に「暇願」(要するに、破門願いですね)を渡してまで、撮影で真剣を使うという危険な決断をするに至ったのか?
そして彼は誰とその「真剣勝負」を「演じた」のか…?
それは映画を見てのお楽しみ。ネット配信もされているそうなので、ご興味の方はぜひ見てみてください。
会津藩は新政府軍によって「賊軍」として制圧されたあと、他藩への見せしめとしてひどい扱いを受けたこと、この映画で初めて知りました。
この史実を主人公が知る場面で、観客としての自分と主人公の心理的距離がぐっと縮まった感覚があり、その後の展開もカタルシスがあって、とてもよかったです。
見終わったあと、久しぶりに故・水野晴郎さんの名台詞、「いや~映画って、本当にいいものですね」とつぶやきたくなりましたw
「行くか…万博」
って決まったのが、前の週の金曜日くらい。行く日は料金安くて空いている(と言われている)平日。子どもは学校があるので、夫婦二人のお出かけでございます。
予備知識はほぼゼロ状態で、まずはあの悪名高い「万博ID」を取ることから。
私はパスワードの入力など細かいことをスマホ画面でやりたくなかったので、PCで作業しました。万博IDは、メールアドレスの他に自分で決めたIDとパスワード(大文字・小文字・記号を含む複雑なやつ)が必要ですが、IDは他人と同じやつだとエラーになるので、自分の名前などありふれた文字列はやめといたほうがいいです。
IDとパスワードは必ずブラウザに憶えてもらいましょう。
二重認証はメール、スマホの認証アプリ、スマホの生体認証の3種類から選べます。
私はスマホの認証アプリを使いましたが、あとから生体認証にしておけばよかったと深~く後悔しました…詳しくは後述します😭
ID取得後、公式サイトで日時指定チケットを2人分を買い、片方を夫の万博ID宛に送信(リンクをメールやLINEで送り、相手がリンクを開いたら受け取り完了)。ですが、当日一緒に行動する場合、これは必要なかった…というか、やるべきじゃなかったな~と今にして思います。
なぜかというと、パビリオンやイベントの予約には各チケットに割り振られている「チケットID」が必要なのですが、チケットを渡してしまったら、自分のアプリには表示されなくなるため、予約画面で入力するためにいちいち購入履歴を開いてチケットIDを確認するという手間が必要になるんです。
なので、万博会場で一緒に行動する同行者のチケットは、グループ内の誰か一人が全員分持っておくほうが断然便利です。
パビリオンの予約は「2ヶ月前抽選」「7日前抽選」の他、来場の3日前の午前零時(!)からできる「空き枠先着予約」、入場10分後に有効になる「当日登録」の4種類があります。
我が家がチケットを買ったのは来場一週間前を切っていたので、夜中に「空き枠先着予約」でかろうじて「未来の都市」パビリオンを予約することができました。
それにしても午前零時に予約開始というのも呆然となりますが、夜中だというのにアクセス多すぎて、予約画面にたどり着くのに5分くらい待たされたのも閉口しましたね…
しかもすでに予約枠の大半が埋まってるし。
パビリオンの予約画面がまたブチ切れそうになるほど見づらいし。
健常者向け空き枠だけ表示してくれればいいのに、ご丁寧に身障者枠やすでに埋まってる枠まで表示されるから、いちいち画面をスクロールして画面下まで行って、「さらに表示」をタップして、また画面をスクロールして…を延々と繰り返さないといけないのがマジでつらい。
もう赤い❌️マークだらけのあの予約画面は二度と見たくない。
さて、話は変わって当日。
我が家は朝11時入場のチケットを取り、ゲート前に着いたのは10時50分ごろ。すでに誘導は始まっていました。
が、ここからが長かった…手荷物検査の行列がなかなか進まない😑
ゲート前は上の写真の画面奥に写っている庇のほかは日差しを遮るものが何もありません。入場まで3、40分くらい待ったと思いますが、かなり暑かったです。これは日傘必須。
入場予約時間ギリギリに来て正解でした。
手荷物検査はかなり厳重で、ポケットの中身は空っぽにし、腕時計ははずし、水筒はカバンから出さないといけません(中身をスキャンする装置にかける)。え、空港より厳しくね?
さらに、手荷物検査が終わったらすぐそこが入場ゲート。(゚Д゚)ハァ?
動線をもうちょっと考えてほしい。
バッグから出した水筒やら腕時計やら抱えたまま、さあスマホを出してチケットスキャンしろて言われてもさあ、そりゃ人も渋滞するわ(# ゚Д゚)
そんなわけで、チケットのQRコードはスクショ(スクリーンショット)を取るか、印刷しておくことをおすすめします。それでもワタワタするけどね。
思うに、機械類を直射日光の下に出したくないんでしょうね。あとスタッフも。
入場オペレーションの拙さに一抹の不安を感じつつ、とりあえず会場内へ。
開放感~!
…はさておき、とりあえずお昼も近いので、腹ごしらえをしておきたく思い、東ゲート入ってすぐ右手にある「大阪ヘルスケアパビリオン」へ。
上の画面中央、木の向こう側に見える白い建物がソレです。中にフードコートがあります(ただし、椅子やテーブルは屋外。日除けテントあり)。人気のパビリオンなので行列ができてますが、フードコートは別の入口から入れるので、そばにいるスタッフに聞いてみましょう。
私が食べたのは、だし巻き弁当1400円(税込)。ま、お祭り価格ってことで…😅
味はとても美味しかったです。このフードコートは私がいつも見ているお料理系Youtuberさんが紹介していたので知ってました。他にもほっ◯ほっ◯亭や、韓国料理のビビムなんかもありました。
お腹がいっぱいになったら、予約が必要ないパビリオンのうち、私が一番気になっていた中国館へ。
ところで、私は公式アプリは「EXPO2025 Visitors」と「EXPO2025 Personal Agent」をインストールして行きましたが、正直なところ、前者は不要だと思いました。使うのは予約のときだけなので、公式サイトにアクセスすれば済む話かな~と。
後者はマップ機能が優秀で、パビリオンやイベントの検索ができて、自分が今いる場所からかかる時間や道案内(AR道案内もOK)もしてくれるスグレモノなのですが、一定の時間がすぎると勝手にログアウトします。
AR道案内中でも容赦なし。このク◯な機能、誰かなんとかしてほしい😒
私がさきほど二重認証は生体認証にしておいたほうがいいと書いたのはこのためです。
再ログインするときのイライラを減らせます。
それはさておき、中国館。入口には『論語』や『老子』の一説なんかが書かれていて、大学での専攻が中国文学だった私の気分は大盛り上がり!
30分ほど並んで中へ。
空いているベンチを見つけてクレープをゆっくり食べたあと、陽光できらきら輝く青い海を眺めつつ、
そろそろ帰ろっか……荷物も重いし。
などと考えていると、かかとに何かがぶつかる感触があった。
怪訝に思ってベンチの下を覗くと、ちょうど彼女の足元にサッカーボールが一つ転がっている。
ボールを持って立ち上がり、振り返ると、ベンチの背もたれのむこうに三歳くらいの小さな男の子がこちらへとことこ早足で近づいてくるのが見えた。
彼の背後には、父親らしい男性が、同様にこちらに視線を投げ、すみません、というように苦笑して頭を下げている。
紅子はボールを持ち主の少年に手渡すべく、ベンチの向こう側へ回った。
「はい、どうぞ」
かがんでボールを手渡すと、少年と目が合った。
黒い瞳と、黒い巻き毛。
日本人離れした鼻筋と、白い肌。
その顔を見た刹那、闇の中で閃いた稲妻がほんの一瞬辺りを照らすように、ある男の顔が紅子の脳裏をよぎった。
白い顔を縁取る黒く長い巻き毛、だがその黒い瞳は、光を失った暗黒の深淵――
誰?
思い出そうとした次の瞬間、それはするりと再び記憶の闇に沈んで消えた。
ただ一つ、その左頬に浮かぶ小さな傷跡を残して。
それは少年の左頬にもあった。
「そのケガ……」
紅子が我知らずつぶやくと、
「あのねえ、おじいちゃんちのろうかで、すべってころんだの」
少年はボールを受け取りながらはにかんで答えた。
と、そのとき、まるでそれ以上彼らが会話するのを拒むように、ハスキーな女性の声が聞こえた。
「あなた、泰己(たいき)」
少年が声のほうをくるりと振り返るのに合わせて、紅子は彼の視線を追いかける。
そこには、ベビーカーを押してこちらへやってくる女性がいた。
身体の線が細い。まっすぐな黒髪、切れ長の目――
よく似た誰かを知っているような気がするのに、意識はただ虚しく記憶の闇を掻くだけだった。
「ママー!」
彼はそう叫ぶと駆け出した。
父母と合流し、ふと思い出したようにこちらを振り返るや、
「ありがとー!バイバーイ」
小さな手を思い切り伸ばして振り回して、彼はまぶしいような笑顔と元気な声を残し、家族とともに楽しげに何ごとか言葉をかわしながら歩き去った。
紅子はなんとなくそのまましばし彼らの背中が見えなくなるまで見送ってから、ベンチのほうへ踵を返した。
ほんの一瞬の、他愛もない触れ合い。
だが、紅子はなぜか満たされた気持ちで、我知らず鼻歌まで歌っていた。
――誰もいないはずのベンチのそばに、人影を見るまでは。
長身で、どこか見覚えのあるシルエット。
まさか、と思いながらも、期待で心臓が跳ねるのを止められない。
日はそろそろ西に傾きつつあるとはいえ、水面の跳ね返す光はまだ眩しく、紅子は思わず目を細めて手庇ごしになんとか相手を確かめようとした。
眩しい視界の中、それでも彼のいつものいたずらっぽい笑みを視界に捉えた瞬間、紅子はほとんど衝動的にその名前を声に乗せていた。
「竜介!?」
すると、よく知っている声が答えた。
「久しぶり。びっくりした?」
紅子は驚きのあまり、文字通り心臓が口から飛び出さないように両手で口を押さえて呼吸を整え、それからようやく言った。
「びっ……くりした!」
電話やメールでずっと連絡を取り合っていたけれど、こうして実際に顔を見て話すのは本当に久しぶりすぎた。
耳元で心臓の鼓動が聞こえるのは、驚きのせいばかりではない。
「一瞬、向こうでなんかあったのかなって、縁起でもないこと考えちゃったよ」
照れを隠すように続けた言葉に、竜介は笑って、
「とりあえず、座って話そうか」
と、片手を差し出す。
「お手をどうぞ、お嬢さん。俺が幽霊かどうか、確かめてみたら?」
紅子は赤い顔で竜介の顔と手を交互に見てしばし逡巡してから、差し出された大きな手に自分の手を重ねた。
温かい。
竜介はにっこりして彼女の手を引き寄せると、滑らかな動作で彼女をベンチに座らせ、自分もその隣に腰を落ち着けた。
手は、重ねたままだ。
その温もりが、彼が本当にここにいるのだということを実感させてくれる。
――嬉しい。
が、同時に、どうしようもなく照れくさくて、つま先がむずむずする。
「いつ帰ってきたの?それに、なんであたしがここにいるって?」
黙っていると頭がオーバーヒートして妙なことを口走りそうなので、今一番の疑問を訊いてみる。
「今朝の便で」
と竜介。
「仕事が思ったより早く片付いた上に、一番早い飛行機に運良く空席があったんだ」
そして彼は帰国してからここに至るまでの紆余曲折を語った。
今日から日本は五月の連休だということは知っていたので、空港に到着後、都心に向かうリムジンバスの中で、竜介は紅子が家にいることを期待して一色家に電話をしたところ、紅子は出かけたという玄蔵の返事。
がっかりしたものの、もしかしたら出先で会えるかもしれないと思い直し、紅子の行き先を玄蔵から聞いておいて、とりあえずスーツケースなどを置きに、東京での定宿である虎光のマンションへ。
「ついでにシャワー浴びて着替えたかったし」
と彼が付け加えるのを聞いて、紅子は今日の彼の服装が長時間のフライト後にしてはこざっぱりしている理由を合点した。
ブルーのシルクシャツに濃紺のジャケット、灰褐色のコットンパンツに黒に近い濃褐色のレースアップシューズという出で立ちは、男物の服装に詳しくない紅子が見てもおしゃれだ。
「時差ボケは?」
「今回は仕事だったから平気」
竜介が酒好きが高じて海外の珍しい酒類を輸入する小さな会社を営んでいることは、付き合い始めてすぐに知った。
以前、彼の部屋で見かけた酒瓶の数々は、趣味と実益を兼ねたものだったのだ。
オフィスは彼の父方の祖父母が暮らすオーストラリアにあり、社員はいないいわゆる「一人社長」なので頻繁に日本と往復する必要があるけれど、時差はほとんどないから楽なのだと彼は言っていた。
紅子は言った。
「仕事だったんなら、別にわざわざ着替えなくてもよかったんじゃない」
「いやいや、飛行機に乗るときはよほど短時間じゃない限り、パジャマみたいな格好だから」
竜介は苦笑して頭を振る。
「それに、約束したからね。ちゃんとした格好で会うって」
部屋では虎光が連休を満喫していた。
出かける予定はないから車を使っていいとのことでお言葉に甘え、車でアウトレットモールに向かったが、着いてみると思った以上に広い上に混雑していて、もう直接携帯に連絡を入れようかと迷ったと彼は言った。
奇跡といってもいいようなことが起きたのは、そんなときだ。
『えっ?はい、いえ、別にそういうわけでは』
聞き慣れた声に振り返ると、家電量販店の店先にずらりと並んだ大小様々な液晶テレビすべてに、探していた人物が映っていた。
まるで、「彼女なら、ここにいるよ」と誰かが教えてくれているように。
彼はすぐさま傍らで呼び込みをしていた店員をつかまえて、画面に写っている場所への道順を聞き出し、人混みをかきわけて外に向かった。
そして今に至る。
不意打ちのような形で撮影された自分の姿が公共電波でさらされ、しかもそれを身近な人間が見たというのは、この上なく気恥ずかしく居心地の悪いものだ。
そのことについて紅子は不平を言ったが、竜介は、まあね、と一旦同意したものの、
「ま、俺はおかげでサプライズが成功したわけだけど」
と、いたずらっ子のように笑った。
「あれはほんと、びっくりしたな。奇跡的なタイミングだった」
「竜介が到着する前にあたしが移動して、入れ違いになってたら?」
「うーん、そのときはそのときで、電話すればいいかと思ってたんだけど」
竜介は少し口ごもってから、続けた。
「電話なんかしなくても、なんだか会える気がしたんだ」
紅子はまた自分の顔に血が上るのを感じた。
視界の端で隣にいる彼を盗み見ると、まっすぐ海を見ているその顔も赤らんでいる気がした。海からの照り返しのせいだろうか。
どう返事をしたらいいのかわからないまま、しばらく竜介の靴の隣に並んだ自分のスニーカーのつま先を見つめた。
もうちょっといい靴を履いてきたらよかった。
「……あとどれくらい日本にいられるの」
この質問を口に出すのは勇気が必要だった。
いつも帰国したと思ったらまたすぐに出国してしまって、学校がある紅子とはまったく時間が噛み合わなかった。
今回はたまたま会えたけれど、きっと今夜遅くか明日にはまたどこかへ旅立ってしまうんだろう。
そう思うと、別れまでの時間を自分から区切ってしまうような気がして怖かった。
でも、心の準備は必要だ――笑顔で彼を送り出すために。
声が震えないように、なるべく明るく尋ねた質問の答えは、しかし、いい意味で予想を裏切るものだった。
「しばらくいるよ」
と、竜介は答えた。
彼がここしばらく忙しくしていたのは、会社のオフィスを日本に遷すためだったらしい。
一緒にいられるのはとても嬉しい。
でも、なぜ今、日本に遷す気になったんだろう。
紅子がその疑問を口にすると、竜介はニヤリと笑うと、
「ま、年貢の納め時ってやつだよ」
それからふと真面目な口調になって、
「未来のことはわからないけど、自分の生活だけ考えて生きるのはもう潮時かなと思って」
どういう意味だろう、と紅子が考える暇もなく、彼は
「親父のこともね」
と続ける。
「君の親父さんから言われたよ。俺がいつまでも苦しむことを、死んだ母さんが望んでいると思うのかって」
短い沈黙が降りた。
いつの間にか海の向こうは夕焼けの色が濃くなり、周囲の喧騒も遠のいたようで、波の響きだけがやけに大きい。
それを破ったのは、紅子だった。
「あたし、黄根のおじいさんから遺品をもらったの。古い写真なんだけどね」
玄蔵が母親の墓参をしたあの日、禁術が使われることで起きる変化――御珠の消失、時系列の変化など――についても事前に説明しておくことで混乱を最小限にとどめようとしたのだろう、黄根老人は泰蔵のもとを訪れた。
そのとき同時に、彼は自分が死ぬことも予言し、
「すべてが終わって落ち着いたら、紅子に渡してほしい」
と泰蔵に託したのが、その写真だった。
東京に戻る前に泰蔵から手渡されて以来、紅子はそれをなんとなくお守りのようにパスケースに入れてずっと持ち歩いていた。
今、彼女はそれを取り出し、改めて目を落としていた。
そこに写っているのは、赤ん坊を抱いた若い夫婦だ。
色は褪せ、何度も折り畳んだり開いたりされたらしく、折り目の部分が白くなってはいるが、画面の中の笑顔の女性が若い頃の祖母であることはすぐにわかった。
そして、写真の裏には、「日奈の宮参り」と書いてあった。
「黄根のおじいさんは、きっとわかってもらいたかったんだと思う。母さんやあたしのことをどれくらい大切に思っていたか」
「そうか……」
竜介はため息とともにそう言って、頭を掻いた。
「俺、あの人に悪いことしたな。娘の幸せなんかどうでもよかった、なんて決めつけて」
夕日は彼らの背後に遠のき、辺りは急に暗くなり始めていた。
竜介は紅子が持っている写真をよく見ようと少し身を乗り出す。
と、そのとき――
いきなり風が強くなり、一陣の突風が砂埃を巻き上げた。
紅子は小さく悲鳴を上げ、思わず強く目を閉じる。
その瞬間、手にしっかり持っていたはずの写真が、風にさらわれて舞い上がった。
「写真が!!」
紅子は慌てて手を伸ばし、空中をひらひらと滑っていく写真を追いかけたが、もう遅い。
それは風に流されるまま柵を乗り越え、夕暮れの暗い波間に消えた。
紅子がなすすべもなく柵にもたれて、写真が消えていった海を呆然と見つめていると、隣に竜介がやってきて言った。
「黄根さん、よほど俺に見られるのがいやだったのかな」
冗談なのか本気なのかわからないとぼけた口調に、紅子は思わず吹き出した。
「照れくさかったんだよ、きっと」
それに、と続ける。
「わかってもらえたからもういい、と思ったんじゃない?」
「だといいんだけど」
会話が途切れたが、そのまま二人は並んで暮れていく海を見ていた。
静かだった。
コンクリートに打ち付ける規則的な波の音のほかは、モールのほうから聞こえるかすかなざわめきばかり。
帰りたくない。
そんな言葉が口をついて出そうになる。
が、それはさすがに彼を困らせるだけだろうと、紅子は代わりの言葉を探した。
「ずっとこんな日が続くといいのにね」
すると竜介はふと微笑んで、
「続くさ」
と、答えた。
それから改まった様子で
「紅子」
と彼女を名前で呼ぶと、少しためらいがちに言った。
「……キスしていい?」
「え、ここで?」
紅子は真っ赤に上気した顔をごまかすように、慌てて周囲を見回す。が、
「誰もいないよ」
と竜介が言う通り、いつの間にか辺りは人の気配が絶えてひっそりしていた。
自分の心臓の音が、彼にまで聞こえるのではと心配になるくらい。
「ど、どうぞ……?」
紅子が思い切って答えると、肩に温かな手が置かれて、竜介の顔が間近に降りてきた。
その端正な顔が、困ったような笑みを浮かべている。
前にも、こんなことが――
そう思っていると、
「前にも言ったと思うけど、」
と彼が言った。
「やりにくいから、目を閉じてくれるかな」
驚きのあまり、言われたこととは真逆に、紅子は反射的に目を見開いた。
「前にも、って……!?」
でも、あれは夢だったはずでは?
「その話は、またあとで」
竜介はいたずらっぽく笑うと、自分の唇の前に人差し指を立てた。
「今は……目を閉じて」
そうだ。これから、時間ならあるんだった。
そう思いながら、紅子はゆっくり目を閉じる。
話したいことはたくさんあった。
もしかしたら、一生かかっても尽きないほどに。
夕焼けの残照を背景に、二つのシルエットが重なった。
海を渡る初夏の風が、暖かく二人を包んでいた。
季節はまだ始まったばかりだ、と言うように。
碧珠が収められていた紺野家の滝裏の洞窟も、白珠が隠されていた白鷺家の四阿(あずまや)の仕掛けも、同様に消えてなくなった。
黄珠がどこに安置されていたのかはわからないが、その場所も今はなくなっているだろう。
竜介たちと黒帝宮へ赴いたはずの朋徳は、黄根家からの連絡によると、十二月の冬至一週間前から心臓疾患で入院、冬至の深夜に容態が急変し、翌未明、そのまま帰らぬ人となった、とのことだった。
では、禁術を起動する直前、紅子に助言をあの老人は誰だったのか――
答えは、どちらも同じ黄根朋徳で間違ってはいない。
御珠が消え、力がなくなり、新月の日がずれたのと同様、禁術によって「歴史が書き換えられた」――あるいは、「最初の禁術失敗でねじれた歴史が正された」――ために起きた、御珠に関わった人間の記憶にのみ残ってしまった「ねじれの残滓」なのだった。
* * *
学校は予定通り四月から始まったものの、避難先から戻れない生徒は多いようで、教室には空席が目立った。
戻ってこれないのは教師も同様らしく、紅子は自分のクラス担任とゴールデンウィークに入ろうかという今に至るまで、顔を合わせたことがない。
隣のクラス担任が紅子のクラスも兼任しているようなものだ。生徒が少ないからそれでも回せているのだろう。
授業もプリント自習が多いが、これは昨年秋からのブランクがある紅子にとってはこれ以上ない福音だった。
春香とは東京から転送されてきた彼女の年賀状に書かれていた住所とメールアドレスから連絡が取れるようになったため、学校が始まる前に少しでも追いついておこうと、欠席分のノートのコピーを送ってもらってはいた。
それでも家での自主学習はやる気が今ひとつで思うようにはかどらなかったのが、学校では自習の合間に直接友人たちから教えてもらえるおかげか、格段に進捗が早く、おまけに楽しい。
次の定期考査での欠点はひとまず免れそうで、紅子は胸を撫で下ろしていた。
やはり持つべきものは友である。
ところで、春香といえば藤臣だが、彼らがその後どうなったかというと、この春、晴れていわゆる「交際」をスタートさせたらしい。
が、「彼氏」の進学先が地方の大学だったせいで、それは思いがけない遠距離恋愛のスタートでもあった。
実は紅子と竜介の二人も、竜介が仕事で頻繁に日本と海外を行ったり来たりしていて、直接会うには予定がなかなか噛み合わないという、似たような状況にあった。
メールはしょっちゅうやりとりしているし、時間の合うときは電話もかけてきてくれるから、気を遣ってくれているのはわかっている。
仕事だから仕方ないとは思うが、やはり少し寂しい。
そんな中、遠距離恋愛仲間を得たことは、紅子と春香互いにとって不幸中の幸いだった。
今や、彼女らは互いの彼氏とよりも頻繁にメールのやり取りをしているくらいである。
そんなこんなで、ゴールデンウィークも一緒に遊びに行く計画を立てていたのだが――
「えーっ、行けなくなったって、どういうこと!?」
ゴールデンウィーク初日の朝。
自宅兼道場の電話が鳴ったので出てみると、春香だった。
休日の朝の電話にろくなものはないのが世の常だが、今回も例外ではなく、本日一緒に買い物に行く約束をしていたのに、急用で行けなくなった、という連絡だった。
電話の向こうの春香は詫びの言葉を繰り返すものの、その声はまったく残念そうではなく、むしろなんとなく華やいでいる。
それで紅子もピンと来た。
「さては藤臣先輩からなんか連絡来たね?」
『えへっ、わかる?』
春香は悪びれもせず言った。
『昨日の深夜にメール来ててさ、ゴールデンウィークのあいだ家の用事でこっちに来るんだって。で、空いてるのが今日だけだっていうから~……ほんとゴメンよ?埋め合わせはするからさ』
「わかったわかった」
あまりにもあっけらかんとしている春香に紅子もそれ以上怒る気が失せてしまい、次の約束はまたメールで、と言い合うと、受話器を置いた。
「女の友情なんてもろいもんよね……」
へっ、とひねくれた笑いとともにそう独りごちると、そばでお茶を飲んでいた玄蔵が吹き出した。
「何、父さん。あたし何か変なこと言った?」
憮然とした表情で紅子が問いただすと、彼は笑いを引っ込めて、
「いや、別に」
「あっそ」
紅子はそっけなく答えると、上着を着て出かける準備を始めた。
「あれ?出かけるのか?春香ちゃんは一緒じゃないんだろ?」
「一人でも行くの」
紅子は慌ただしく玄関に向かいながら、肩越しに振り返って言った。
「今日からバーゲンなんだもん、初日に行かないと狙ってたのが売れちゃうでしょ」
道場の玄関の引き戸が閉まる音がして、家内に沈黙が戻る。
それからしばらくして、再び一色家の電話が鳴った。
玄蔵が受話器を取ると、よく聞き慣れた声だ。
「ああ、君か。元気そうだな。いや、紅子なら今出かけたよ……」
買い物は、朝に気分を損ねたことなど忘れるくらい、なかなかの収穫だった。
やっぱり来てよかった、と大きなショッパーバッグを抱えながら、紅子はほくほく顔でアウトレットモールの外に出た。
海沿いに建つこの施設は、海が見渡せる公園に隣接していて、祝日の今日はワンハンドフードの屋台やキッチンカーが遊歩道沿いに軒を連ね、美味しそうな匂いで道行く人々の鼻腔をくすぐっている。
腕時計を見ると、午後三時。
昼食はモール内のファストフード店で取ったが、おやつは外で買い食いすることに決め、紅子は屋台を見て回ることにした。
公園内もそれなりに賑わっているが、まっすぐ歩くことすら難しいモールの中に比べたら、ゆったりしたものだ。
遊歩道の途中にある広場では、サルっぽい顔立ちの小柄な青年が大道芸を披露していた。
ひょうきんな言動と身軽なアクロバットが観衆を大いに沸かせている。
広場には他にも子供向けのイベントブースがあり、海の側だからウミウシを模しているらしい着ぐるみが小さい子どもたちに風船を配っていたが、それがお世辞にもかわいいとは言い難くて、風船欲しさに近寄ってくる子どもたちの中には、怖くて泣き出したり、風船をもらった途端に逃げ出す子どももいたりして、周囲の大人たちを苦笑させていた。
紅子はというと、青年や着ぐるみに奇妙な既視感を覚えることに、内心で首を傾げた。
テレビのニュースか何かで見たのかな?
そんなことを思いながら適当に選んだ屋台でクレープを注文し、出来上がりを待っていると、にわかに周囲が賑やかになった。
「……ということで~、本日は人が多くてとってもにぎやかなモールに来ていますぅ~!外にもスイーツのお店がたくさん並んでますね~!どれもとても美味しそうですよね~、ちょっとここで食べてる人にもお話うかがってみたいと思いますぅ~」
テレビのレポーターらしい華やかなスーツ姿の女性が、マイク片手にそんなことを喋りながら、テレビ局の腕章をつけたカメラクルーを引き連れてこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
妙に粘っこい喋り方に、またもや既視感。
だが、店員から注文していたクレープを渡されて、紅子の注意がそちらへ向いた、そのとき。
「こんにちわああ、すっごいいちごたっぷりなクレープですねえ~!!」
突然すぐそばで声がして、紅子は一瞬、クレープを取り落としそうになった。
見ると、さっき遠目に見たテレビレポーターがいて、こちらに向かって笑顔を放射している。
もったりした肉感的な唇に、また何度目かの既視感。
だが相手はそんな紅子の内心にはお構いなしに、
「ここのクレープはお気に入りなんですかぁ?」
などと尋ねてくる。
紅子はいきなりのことにたじたじとなりながら、
「えっ?はい、いえ、別にそういうわけでは」
「いちご、お好きなんですねぇ~」
「あ、はい、いちごは大好きですけども」
「そのクレープ、他に何が入ってるんですかぁ?ちょっと食べてみてくれますぅ?」
まる四日眠っていた、と医者から告げられたときは自分の耳を疑った。
診察の結果、医者は紅子をまったくの健康体だと請け合って、彼女の身体に取り付けられていた管やセンサーを外してくれたあと、
「今夜一晩様子を見て問題なければ、明日の午後退院しましょう」
と言って、看護師を連れて病室を出て行った。
入れ替わりに父と祖父、それに虎光が入ってきたので、紅子は竜介と鷹彦、白鷺家の二人、それに黄根老人の安否を尋ねた。
三人が一瞬、微妙な表情になったので不安になったものの、なぜかなんとなく彼らの返答を予測できた。
そして彼らは、紅子が直感した通りのことを言った。
五人のうち四人は無事で、元気にしている。
ただ、黄根老人だけが亡くなった、と。
紅子は、なぜ、とも、いつ亡くなったのか、とも尋ねなかった。
それより、父親以外で母や祖母のことを知っている親族がいなくなってしまったことが、ただ残念で悲しかった。
「そう……」
と言ったきり、悄然と黙り込む彼女の目の前に、虎光が気まずい空気を変えようとして差し出したのが、例のギフトバッグだった。
「兄貴から、紅子ちゃんに渡してくれって預かったんだ。直接渡せてよかったよ」
虎光はそう言って、開けてみるように促した。
父親と祖父もいる前で、どう見ても特別感あふれるギフトバッグを開けるのは照れくさかったが、自分も中を見てみたい気持ちが勝って、紅子はベッドの上に起き上がると、紙袋の口の部分を閉じている小さなテープを剥がした。
これまでの自分の人生で、開封の瞬間にこれほどドキドキしたプレゼントがあっただろうか、と思うくらい、それは胸の高鳴る一瞬だった。
袋の中身は、電話会社のブランドロゴが印字された化粧箱。
それと、水色の封筒に入った手紙が一通添えられている。
箱を開けると、中にはパールが入った臙脂に金属部分がゴールドというおしゃれなフリップ式携帯電話が収まっていた。
電話をかけろってこと?
周りの視線を忘れて、紅子は急いで封筒を開けた。
封筒と揃いの水色の便箋が四つ折りになって入っていたが、それを開くのももどかしい。 紺色のインクを目で追いながら、そういえば竜介の肉筆を見るのはこれが初めてだと思う。
男性らしいカチッとした文字で、そこにはこう綴られていた。
一色紅子様
今、君は目を覚ましてこれを読んでくれていることと思います。
本当はこの手で渡したかったけれど、用事で日本を離れることになり、虎光に託しました。
俺は君のそばにいられないのがとても残念ですが、君はどうかな?
もし少しでも残念だ、寂しいと思ってくれるなら、この手紙に同封した携帯電話で連絡をください。
あの夜の月を、また一緒に見られることを願って。
愛しています。
紺野竜介
文字通り、本当に顔から火が出るかと思った。
最後の一文に目を通すや否や、紅子は電光石火の早業で便箋をベッドの上に裏返しに伏せた。
顔を上げると、祖父も虎光も、わざとらしく明後日のほうを向く。
父だけがなんとも複雑な顔で自分を見て、何か言おうとしたのか口を開きかけたが、
「えーと、そういえばそろそろ、面会時間も終わりだな。玄蔵、虎光くん、帰ろうか」
という、なんだか妙に上ずった泰蔵の言葉で遮られてしまった。
虎光も調子を合わせて、
「あ、ですね。じゃあ俺、車だから送っていきますよ」
だが、
「えっと、待って待って」
紅子は慌てて呼び止めると、まだ電源が入っていない携帯電話のフリップを開いて見せて言った。
「虎光さん、すみませんが使い方を教えてもらえますか?」
携帯が入っていた箱には使い方を書いた小さくて分厚い冊子も同梱されていたが、そんなものを読み込む時間が惜しかった。
電話でもメールでもいいから、今すぐ使いたい。
虎光は快く、さしあたって必要と思われる機能を手短に教えてくれた。
その間、玄蔵が直ぐ側で
「携帯電話なんてまだ早い」
だの、
「退院してからでもいいだろう」
だのぶつくさ言っていたが、聞こえないふりをした。
電源を入れてみると、メールの着信が一件あった。
中身は、竜介の名前と携帯電話の番号だけ。
「兄貴はまだ国内にいるから、電話したら喜ぶと思うよ」
虎光に言われるまま、紅子は恐る恐る、画面の番号に電話をかけた。
電話を耳に当て、緊張した面持ちで呼び出し音を聞いている紅子を残して、泰蔵と虎光は狼狽する玄蔵をなだめつつ、その背中を押すようにして廊下に出た。
電話はまもなく繋がったようだ。
紅子が小さな声で、電話の相手に何事か話しかけるのが聞こえた。
その後、嬉しそうに何度も頷き、目尻に浮かんだ涙を指で拭う様子を肩越しに確かめると、虎光は病室の引き戸を後ろ手にそっと閉めたのだった。
* * *
それから約二ヶ月以上経って、紅子はようやく東京に戻った。
三月も半ばになろうかという頃である。
なぜそんなに時間がかかったかといえば、端的にいうと、家が住める状態ではなくなってしまっていたからだ。
黒珠が引き起こした未曾有の大寒波は、大量の積雪と寒さによって、送電や上下水道などのライフラインを傷つけたほか交通網を寸断し、古い家屋などを破壊した。
のみならず、気温が年明けとともに平年並みに戻ったあともなお、大量の融雪水による浸水が起き、人々の生活に甚大な被害をもたらした。
そしてその被害は、一色家にも及んでいた。
政府が発した緊急避難指示は、二月には全面解除となったので、東京の本社まで様子を見に行くという虎光に頼んで、玄蔵と紅子も彼の車で同行させてもらったことがあった。
一色家は倒壊こそしていないものの、もともと古かった建物は、屋根が雪の重みで素人目にもわかるほどたわんでいたし、家の中も、雪によるものか浸水のせいかは定かではないが、一階部分はとても人が住める状態ではなくなってしまっていたのである。
そして、例の土蔵に至っては、ただの瓦礫の山と化していた。
幸い、玄蔵が「一色流練気柔術」の道場として借りている建物は無事で、中にはシャワールームもあり、手狭だが当面の生活ができる程度の設備はあるので、自宅の改築が完了するまではそこに住むことで一応の解決を見た。
それでも不便な生活はできるだけ短期間であるに越したことはない。
道場の再開をしなければならない玄蔵は二月半ばには東京に戻っていたが、紅子は学校が始まるギリギリまで泰蔵のところにとどまっていたのだった。
とはいえ、一色の家を建て直すかどうかについては、玄蔵はかなり悩んだようだ。
深夜、泰蔵と相談しているのを、紅子は何度か見かけた。
泰蔵の家から通える高校への編入手続きを促す書類が役所から届いているのを見かけると同時に、東京の高校からも、四月に授業再開の見通しが立ったという連絡が来ていたが、どちらがいいかと訊かれれば、紅子にとっては後者がいいに決まっている。
玄蔵にとっても、新しい場所で一から道場の経営を始めるよりは、すでに弟子たちがいる東京に戻って、完全に元通りとまでは行かずとも、道場を再開するほうがずっと楽なはずだ。
残る問題は先立つものだったが、玄蔵が自分の生家の名前を出すと、驚くほどすんなり銀行の融資が通ったそうで、それが最後の決め手となったのだった。
泰蔵だけは、息子や孫といっしょに暮らせる当てが外れて、少し落胆したらしいけれど。
東京に戻った紅子は、改築が始まる前の更地になった自宅跡地を見に行ってみた。
築地塀はなくなり、代わりに周りを囲っているのは仮説された蛇腹式の横引きシャッターで、その向こうに広がる空き地は驚くほど広かった。
植栽もほぼ取り除かれ、隅の方に真新しい建材がいくつか置かれているほかは本当になにもない。
土蔵があった辺りの地面も、それらしい穴の跡はない。
「何もないぞ」
出かける前、家の跡を見に行ってくる、と言う紅子に、玄蔵は言った。
それに先んじて、彼は他にも、「去年の冬至と新月は重なっていない」ことを新聞などの月齢カレンダーで調べて教えてくれていた。
そう、世界は変わったのだ――御珠の存在しない世界に。
※挿絵はAI画像です。
コロナ禍中、夏用マスクを作ろうと買い込んだ接触冷感生地。 布帛とちがって伸びる生地なので、マスク以外使い道も思いつかず、持て余していました。 でも捨てたりするのももったいないし…と考えていたところ、夏のお昼寝枕をこれで作ったら、普通の生地より熱がこもりにくくていいかも!と思いつ...