「わたしがお前の力を増幅させる」
黄根は宣言した。
「この娘の――紅子の命を、取り戻すんだ」
彼と、紅子を抱えてうずくまる竜介を囲み、金色の法円が黒大理石の上で回転している。
虫の羽音のようなかすかなハミング音に合わせて、その幾何学模様を複雑に変化させながら。
竜介は視線を上げて黄根の顔を見た。
正面にひざまずいている黄根と、間近に目が合う。
こんなに近くで、この老人の顔をかつて見たことはなかった。
金色の光輝に包まれているそれは、彼がよく知っているとおりに、威圧的で険しく厳しい。
しかし――
今はそれが、不思議なほど、この上なく頼もしく思えた。
老人の口調が、自信に満ちているからだろうか?
できるかもしれない。
そんな気持ちが、ふつふつと湧き上がる。
たとえ自分の命に替えても、彼女を取り戻す。
竜介は答えた。
「わかりました。やります」
――寒い。
闇の中に、彼女はいた。
時の流れさえ凍てつく寒さと、永遠の闇。
その中で、固く目を閉じ、膝を抱え、小さく小さく丸まっている。
寒さをしのぐため――だけではない。
彼女は何かをその胸に抱え込んでいた。
その「何か」を守るために、ひたすら丸くなっている。
それは、小さな炎だった。
胸の奥の、小さな熱と光。
いつからこうしているのかも、もうわからない。
自分が何かを待っていたような気がするけれど、いったい何を待っていたのかすら思い出せない。
それでも、この炎だけは、これだけは守らねばならない。
これだけは、消してはならない。
たとえその理由さえもはや思い出せなくても。
そんな彼女に、闇がささやく。
無駄だ、と。
無駄なことだ。
お前が忘れてしまったように、お前が待つものも、お前を忘れてしまった。
もうすべてを手放してしまえ。
楽になれ。
闇にとって、彼女の炎は目障りなのだ。
この炎のせいで、彼女を凍えさせ、完全に取り込むことができないのだから。
彼女は闇の邪悪さを本能的に感じ取っている。
だから、守りをさらに固くする。
けれど――
炎は少しずつ、その勢いを失いつつあった。
それは今や小さな灯火(ともしび)となり、吐息のささやかな一吹きで消えてしまいそうだ。
同時に、押し寄せる絶望が、心を蝕んでいく。
なんだか、疲れたな……。
手放してしまおうか……。
そんな彼女の気持ちを鋭く感じ取り、闇が邪悪な歓喜に震える。
それさえ、彼女はもうどうでもいいと感じ始めていた、そのとき。
何かが――「だれか」が、彼女を呼んだ。
聞いたことのある声だった。
ずっと待ち望んでいた声だった。
「紅子」
それはたしかにそう言った。
炎がにわかに勢いを取り戻し、その熱と光が彼女の心をほどいていく。
膝を抱えていた腕を解き、ゆっくりと起き上がる。
闇が怯む。
固く閉じていた彼女の双眸は今、開かれ、赤く燃えている。
戻りたい。
戻らなければ。
周囲は上下すらわからない無限の闇だ。
だが、彼女はふらつきながらも立ち上がった。
闇はそんな彼女を威嚇するかのように、恐ろしい咆哮を響かせる。
凍てつく吐息とともに針のような氷のつぶてが、彼女に襲いかかる。
しかし、その攻撃はどれも彼女を傷つけることはできなかった。
次の瞬間、彼女の足元から、オレンジ色の花びらのような炎が勢いよく燃え上がり、彼女の全身を繭のように包んだからだ。
炎は灼熱の盾となって、闇が繰り出すあらゆる残忍な殺意の具象を防ぎ、さらには金色の火の粉を吐きながら、その赤い牙と舌で、見る間に闇を切り裂き駆逐していった。
たった四つの御珠だけで強行された禁術で力尽きたはずの彼女の、どこにそんな力が残っていたのだろう?
否、これは彼女「だけ」の力ではなかった。
彼女に「戻ってこい」と呼びかける、その声の力。
彼女を待つ人達の、心の声の力だった。
そして――
そして、彼女は戻ってきた。
現実に戻ってきた彼女が最初に感じたこと、それは口の中の金気臭い血の味と、寒さと、そして強く抱きしめられている温もりだった。
知っている匂いだった。
目を開くと、懐かしい青い光の向こうに、確かに彼がいた。
心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「竜……介」
血が乾いて動かしにくい口で、そう呼んでみる。
涙があふれた。
「紅子……!紅子ちゃん!」
闇の中で聞いた声。
それが潤んで聞こえたのは、気のせいではないようだ。
竜介の頬にも、涙の筋が光っている。
「これ……夢じゃない、よね?」
紅子がかすれた声で尋ねると、竜介は泣き笑いの顔になって、強く頭を振った。
「夢なもんか!君は、戻ってきたんだ」
そうして、彼は紅子を抱きしめると、その耳元で言った。
「君は、帰ってきた……もう、どこへも行かないでくれ」
※挿絵はAI生成です。